穢れたものを、穢れたというのはとても簡単だ。
けれど、穢れたものを穢れていないと思うことは、とても難しい。
難しいからこそ、『穢れた』と口にされる事が悲しくて、苦しくて、辛い。
それが分かっているからこそ、『穢れている』と口にして欲しくなかった。
それを分かっているからこそ、本人は『穢れている』と口にする。



違う、のに……



そう思っていても、伝わらないもどかしさ。
どうすれば、この思いは彼に届くのか。
分からなくて、は一人──満ち足りた月を見上げていた。







Freesia refracta







さん」


掛けられた声に、は返事をすることなく空を見上げていた。
この日ばかりは、彼に優しくしたかった。
この日ばかりは、あの言葉は聞きたくなかった。

背後で、困ったように笑みを浮かべる彼──弁慶の姿が、には容易に想像出来た。


「まだ、昨日の事を気にしているんですか?」


呟く弁慶の口調は、まるで自分は気に求めていませんとでも言うようなものだった。
だから余計には悲しくて、悔しくて、振りむけなかった。
弁慶の『穢れている』という考えを、どうやっても払拭する事も和らげることも出来ないおのれ自身に嫌気がさす。


「気にしない方が無理だと思います」


可愛げのない物言いに、内心溜め息が零れる。
どうしてこういう言い方しか出来ないんだろうと、結んだ唇が余計きつく結ばれた。



弁慶さんは、穢れてなんかいないのに……



そう言っても、意見を改めてくれない弁慶。
考えを変えることが出来ないくらいに、弁慶は思い詰めているのか。
それは、つい先日の事だった──









「弁慶さんの髪って、あの月のように綺麗ですよね」


さりげない一言だった。
月ほど黄色くはないが、茶色とも言い難い綺麗な色。
月明かりが当たれば、髪は透き通っているかのように金のように染まって見える。
柔らかく癖のある髪に指先だけで触れた。


「……それは、あの月に失礼ですよ、さん」


苦笑を浮かべ、肩をすくめた弁慶。
けれど、は一瞬だけ変わった弁慶の表情を見逃さなかった。
嫌がるような、嫌悪するような、同一とみられる事を──避けるような。



弁慶さん?



だからこそ、の眉間にしわが寄った。
どうしてそんな表情をするのかと問い掛けようと、は身を乗り出し弁慶の瞳を真っ直ぐ見詰めた。


さん?」


「どうして、そんな風に言うんですか?別に失礼じゃないと思うんですけど」


「失礼ですよ 穢れた僕なんかと一緒にされては……ね」


その言葉に、の胸がチクリと痛んだ。
心臓をギュッと鷲づかみにされるような、早鐘を打つ痛み。


「穢れてなんていません!!」


「穢れていますよ たくさんの命をこの手で潰して、血で手を染めて……」


それ以上は語らなかった。
京を寂れさせたのも、龍神の半身を消滅させてしまったのも、それはが知らなくてもいいことだから。
知らなくていい事は、知らなくていい……知らない方がいい。


「それなら、私だってそうです
 私は、たくさんの人を斬ってきました 命乞いする人だって……目的の為には斬るしかなくて」


いつだったか、将臣が盗賊の何人かを生きて逃がしたことがあった。
その時だって、は『逃がしちゃうの!?』と声を掛けた。
そんな自分が穢れていないはずがないと、は思っていた。


「それでも君は白龍の神子です 清らかな、天女です」


「そんなの、詭弁です 白龍の神子だから、どんなに手を汚しても清らか?
 白龍の神子じゃない弁慶さんは、手を汚せば穢れている?
 そんなの違います!」


ガシッと、は弁慶の服を掴んだ。
悲しくて、瞳が揺れて今にも涙が零れ落ちそうだった。
それをグッとこらえて、必死に言葉を紡ごうとした。


「穢れていないと思えば、穢れていないんです!
 誰かが、あなたは清らかだって言ってくれれば、清らかなんです!
 考え方一つなんですよ……弁慶さん」


弁慶の考えを変えてほしくて、必死にそう言葉を紡いだ。
届いてほしいと、強く強く願って言葉を選んで喋り続けた。


「誰にでも、避けては通れない穢れた部分があります
 でも、それを受け止めて受け入れて、初めてそれも綺麗になるんだと思います
 穢れたままの人間なんていません 必ず、どこかで贖罪する時が訪れるんです
 贖罪をして、それですべてはなくなった事にはなりませんけど……それでも、ずっと罪に浸ってる必要はなくなるんです
 浸っているんじゃなくて、背負うんです、自分の償った罪を
 背負って、長い時間を掛けて綺麗にしていくんです」


そんなのは、自分の考えに過ぎないことはだってよく分かっていた。
分かっていたけれど、ずっと弁慶が深い深い奈落の底に居るのは嫌だった。
這い上がって、背負って、前に進んで──そして、自分は穢れていないと思えるようになって欲しかった。


「間違えずに……進める人間なんて、居ないんですよっ」


言って、涙が溢れ出して来た。
俯くと同時に、長い髪が表情を隠し──けれど地面へと吸い込まれるように落ちていく涙は弁慶の目にも留まった。


さん……」


「お願いだから、自分を責め続けないで下さい 穢れているなんて……そんな事……」


ギュッと拳を握りしめ、声が震えた、手が震えた。
胸が締め付けられるほどに悲しくて、今にもすべての神経が千切れて飛び出てきそうだった。


「それでも……僕は、償って綺麗になれる程の罪以上の罪を……犯してしまったんですよ」


神を滅ぼしかねないほどの、罪。
それはの知らない事実。


「──……」


彼は、もう何を言っても無駄なのだとは思った。
どれだけ必死に言葉を紡いでも、届かないのだと。
それが悲しくて、悔しくて。


「弁慶さんの馬鹿!!罪に、大きい小さいなんてないのに!!」


子供染みた叫び声を上げて、踵を返して駆け出していた。
涙をぬぐう事も忘れて、ひたすらに自室に向って走って行った。









さん……僕は……」


「聞きたくありません」


そんな先日の出来事があってか、は弁慶の話を聞こうとしなかった。
否、聞けなかった。
『穢れている』と言われる事が怖かったのだ。
まるで、白龍の神子である自分は特別なのだと線引きされているようで。


「──弁慶さん」


「はい?」


「誕生日って何のためにあるか知っていますか?」


唐突なの質問に、弁慶は首をかしげた。
意味が分からないのは、の言葉の意味もそうだけれど──


「"誕生日"……とは、いったい何のことですか?」


「弁慶さんが生まれた日の事です」


言って、は口ごもった。
"何のためにあるのか"なんて、それは世間一般的な認識でも意見でもない。
ただの、自身の考えだった。

そんなの、知っているはずもないのに。


「誕生日を迎えて年を取って……でも、それだけじゃないんです 私は、そう思っています」


「?」


何を言おうとしているのか分からなくて、弁慶は首をかしげた。
いったい、何を伝えようとしているのか。
いったい、どうしたいのか。


さん?」


だから、そんな風に確認するように名前を呼んだ。


「誕生日は、新しく自分が生まれ変わる日だと思うんです
 一年分の殻を脱ぎ捨てて、綺麗で無垢な自分に生まれ変わる日だと
 一年間頑張ってきたねって、だから一年間ずっと背負ってきた重い殻は脱ぎ捨てて、また新たな一年を歩みだそうって」


それは、昨日の話に繋がるものだった。


「今日は、弁慶さんの誕生日です だから、もういいんですよ……苦しまなくて
 忘れる必要もなければ、その罪を捨てる必要もありません ただ、自分を纏う殻にしないで……
 弁慶さんが必要だと思うものは、背負っていけばいいんです」


だから、もっと肩の力を抜いて前を見てほしいとは言った。


「罪は償うためにあるんです 償って、糧になって、それが"弁慶さん自身"になるんです」


そっと包み込むように、は弁慶の手を握った。
瞳を細め、愛しい人を見る視線で弁慶を見つめる。


「だから、今日を境に……新しい弁慶さんになって下さい 纏ってきた全てを弁慶さんのものにして」


「……さんには、本当に敵いませんね」


その言葉に、ようやくは嬉しそうに微笑むことが出来た。
歩き出すのに時間が掛ったっていい。
どんなに迷ったっていい。
それだって、その人の糧に、ものになるのだから。


「──弁慶さん、お誕生日おめでとうございます」


まるで、新たな門出を祝うようにはゆっくりと微笑んだ。








...........end




ええ、と二月十一日は弁慶さんの誕生日って事で、誕生花である『フリージア』を題材に書きました。
花言葉は純潔・無邪気だったので、純潔の方で……なので穢れている話題をば。(笑)
とりあえず、私の思いは全部主人公に乗っけられたかなと思いますが……どうもセリフが長くなってしまった;
しかも、言いたい事があり過ぎて全部入りきらなかったのに、このぐだぐださ。
うぅーん、もっとうまく書けるようになりたいです。






遙かなる時空の中で夢小説に戻る