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霧が晴れ、目の前が開けた。 はそれを待ち望んでいたかのように、きょろきょろとあたりを見渡した。 「布都彦?布都彦っ いないのかしら……いったいどこに……」 抱き寄せて支えてくれていたはずの布都彦の姿がなく、は少しだけ慌てた声を上げた。 いったい…… いったいどこへ行ったと──ううん、違うわ 布都彦がどこへ行ったのだろうかと思ったのもつかの間、風景がおかしい事に言葉を途切った。 布都彦が居なくなったんじゃないわ…… 私が、違う場所に来てしまったのね…… 今、がいる場所は、先ほど布都彦と一緒に居る場所とは全く違っていた。 さびれた場所、豊葦原の自然豊かな景色とは全然違っていた。 己が内に眠る者 第三話 「そんな事よりも、きっと……あの声の言っていた“あの子”というのは、ここに居るのね」 探さないと……とは一歩を踏み出した。 まるで、どこだか分からない場所。 けれど、豊葦原の大自然と違い枯れてしまっている自然は見渡しが良いものだった。 「全ては無に還る……ここは、何もない国なのじゃ」 「……ぇ?」 聞こえた声に、は眉を潜めた。 遠巻きに見えるのは、細く寂しげなお爺さんと金髪の目立つ一人の少女──千尋だけ。 「何があったんですか?おじいさん こんなの……普通じゃ考えられません 何か怖ろしい事でもあったんじゃ……」 「聞いたところで、何も変わらぬよ 何もなく、あるものも無に還り……混沌へと落ちる 言ったはずじゃ、ここは何もない国だと」 「確かに、聞きましたけど……」 「ものもなくなり……何もないからこそ、何も起きぬ」 お爺さんの言葉に、千尋はわけが分からずに首を傾げるだけだった。 「この地には、怖ろしい事など何も起きてはいない それが定め そして、全てに滅びが訪れるのも、誰にも変えられぬ定め……」 その言葉に、はゾワリとしたものを感じた。 このお爺さんと居ちゃいけないわ…… 話して居ちゃ、この空間に居ちゃ…… ここは── ここは何かがおかしいっ!!! 慌てて、その二人に近づこうとは駆け出していた。 「神の定めに抗えるのは『黒き手の王』のみ── それすらも……すでに定められている…… ただ……黒き手の王が……滅亡も永続も……混沌の輪から拾い上げる」 全ては、黒き手の王に委ねられている。 黒き手の王が、全てを見極め、定め、決める。 それは何とも、傲慢で、勝手だろうか。 「この人と、それ以上居ちゃいけないわ!!!」 は慌てて声を張り上げ、千尋に手を差し伸べた。 「止められぬ事だ……白き龍の傀儡(くぐつ)、そして、コトシロの型代(かたしろ)よ」 白き龍の傀儡(くぐつ)? コトシロの型代(かたしろ)……? どういう、こと? 何を言っているのか、意味が分からなかった。 千尋に近づき、そのまま立ち尽くしてしまった。 なんだかとても嫌な言葉、嫌な響き、 傀儡(くぐつ)だなんて、型代(かたしろ)だなんて、言われていい気分になる者などいるはずもない。 「汝らには救う事は出来ぬ」 「「!」」 呟くと同時に、お爺さんから体格のいい男へと姿を変えた様子に、千尋もも驚きを隠せなかった。 男の服装は常世の国を思わせるもので──その風格、体格、態度、全てからして。 この人はきっと……常世の── いけないわっ……! ここを早く離れないとっ 直感で、はそう思った。 このまま居れば、きっと良くない事が起きる。 千尋にとっても、にとっても。 “あの子を助けて”と言われた手前、は千尋を守らなければならないのだ。 「逃げるか……失ったまま、何者かも分からず ただ、終わるのを待つと言うのか」 「──っ!何を……何を知っているというの!?」 男──皇(ラージャ)の言葉に、は目を見開き問いかけた。 逃げなければ。 そう思う反面、皇(ラージャ)の言葉にどうしても耳を傾けたくなってしまう。 当の本人であるが知りたいと思う事を、皇(ラージャ)が知っているように思えたから。 「汝の正体……しれば、その娘はどうするであろうな のうのうと、そこに居るとは……思いもしないだろう」 「いったい何を言っているの!?知っているのなら、白状してっ」 分からない事を伏せたまま話す皇(ラージャ)に、はワナワナと手を震わせた。 知りたいのに誰も教えてくれない。 それは、誰も知らないからだと分かっていた。 だから、だって会えて聞かなかったし、知りえる時が来るまで待とうと思っていた。 けれど、今まさに、目の前に知りえる者がいるのだ。 「汝の身を……魂を……我に捧げよ かかげる黒き者に、配する黒き者に……滅亡へ、永続へ導くものへ──かの魂を」 「駄目っ それって、死んじゃう!!」 皇(ラージャ)の言葉を聞き、慌てて千尋はの腕に抱きついた。 いけないと。 見も知らぬ人だけれど、千尋は行かせるわけにはいかないと思ったのだ。 「ここは我の国 何者にも抗いえぬ 汝の魂は……黒き者に──」 「──っ」 手を伸ばす皇(ラージャ)に、はビクッと身体を揺るがせた。 「消えゆく世界に殉じよ」 赤き光が皇(ラージャ)を包み、瞳の色を怪しく変えた。 「そうは──させぬっ」 けれど、それと同時には鋭い瞳で皇(ラージャ)を睨みつけた。 低く唸る様に、皇(ラージャ)を圧迫するように強く言った。 「汝は──っ」 その力に、変貌に、皇(ラージャ)は目を見開いた。 目の前に居るのはであってではない。 「この娘の身体……触れさせる事はさせぬ 魂も、身も──そなたのものにはならぬ」 大地が揺らぐ。 けれどは平然と立ち、皇(ラージャ)を睨みつけていた。 「うあああっ」 千尋は苦しげな声を上げ、皇(ラージャ)をなおも睨み続けると一緒にその場から姿を消した。 「──────ん?」 あれから、ずっとを探しまわっていた布都彦。 そんな布都彦は、香春岳(かわらだけ)を引き返し、岡田宮近くへと戻ってきていた。 道臣に話、どうするべきか話をした方がよいと判断したからだろう。 だが、そこで見かけたのは見知った姿と──見知らぬ少女、千尋の姿だった。 「っ!?それに、このような所に他の女人まで……?」 「……ん……」 を抱き起こし、そして千尋に視線を向けて布都彦は愕然とした。 そして、それと同時にそこに横たわる千尋こそがの探していた“あの子”なのではないだろうかと思った。 「とにかく、今はとこの少女を運ばなければ……」 ただそれだけだった、布都彦が即座に考えたのは。 ここに置いてはおけないと。 と共に居るのだ…… きっと大丈夫だろう そんな風に考え、布都彦は右肩に縛り付けていた赤い布でを背中に結び付けた。 子供をあやす為に、乳母(めのと)が子を背中に結び付けるように。 そして、千尋の事は姫抱きにして岡田宮を目指した。 運のいい事に、ちょうどここから岡田宮は近い。 誰かを呼びに戻るよりも、遙かにこちらの方が効率はいいだろう。 「ん……んん……」 小さな音を耳にし、千尋は静かな声を漏らした。 そして、ゆっくりと瞳を開き──眩しい光を瞳に浴びた。 けれど、隣で眠るだけは一向に目を覚まそうとしなかった。 「あの……」 千尋はを気にしながらも、今近くで起きている布都彦に声を掛けた。 ここがどこなのか、なぜここに居るのか、は大丈夫なのか……それを聞きたくて。 「ああ、お目覚めでしたか」 掛った声に、布都彦は笑顔で返事を返した。 けれど、その表情の影に少しだけ心配そうな不安そうな──そんな負の色が見え隠れしていた。 「あなたは……?それに、そこで眠ってる人も…… 私を助けてくれて、それで……」 「私の名は布都彦 そして、彼女は 常世の国に抗う組織に身を置く者です あなたを助けてほしいという声をが聞いたので、あなたを探しておりました」 「あの後、あなたが助けてくれたのね ありがとう」 あの不思議な空間ではが。 そして、その空間から脱出した後は布都彦が、千尋を守ってくれた。 「当然の事をしたまでです」 お告げがあったから。 けれど、それがなくても布都彦の性格ならば、きっと千尋を助けていただろう。 偶然に見つけ──そして、こうして岡田宮へと連れてくる。 「霧の中で、あなたも迷われたのですね?」 「──ぇ、どうしてそれを……」 「私たちも、あなたを探す道中、霧に視野を奪われました そこで、を見失ってしまったのですが…… けれど、荒魂などに会われなくてようございました」 驚く千尋に、布都彦は分かりやすく説明をした。 千尋と一緒にが倒れていたと言う事は、きっと同じ場所へと向かったはず。 ということは、達の方に発生した霧も、千尋達の方にも発生していた可能性が少なからずある──そう推測したのだ。 「ここは、屈強で幾度も戦場を潜り抜けた兵たちによって守られた砦 安心して、ゆっくりと休まれるといい」 「はい……ありがとう」 布都彦の言葉に千尋は嬉しそうに微笑んだ。 けれど、すぐに布都彦の不安そうな顔色に気付き。 「あの……はまだ……目覚めそうにないの? 助けてもらったお礼を言いたいのだけれど……」 両手を胸の前で組み、考え込むように問いかけた。 「助けて……?霧の中で、何かあったのですか?」 訝しげに問いかける布都彦に、千尋はただ頷くだけだった。 「では……その出来事が原因で、未だは目覚めぬと……」 呟き、悔しそうに拳を握りしめ、布都彦はの近くへと歩み寄った。 眠る表情は穏やかで、呼吸も安定している。 なのに、は一向に目を覚まさない。 いったい何が……の目覚めを妨げているのだ……? 布都彦にさえ理由が分からず、心の中で悔しげに呟くだけだった。 今ここで、そんな言葉を吐き出してしまえば目の前に居る千尋に余計な不安をさせてしまう。 せっかく、ゆっくりと休むといいと言ったのに、それでは無意味だ。 「その事について……私が話そう」 「「!?」」 突如聞こえたの声に、布都彦も千尋も驚きの視線を向けた。 の声なのに、恐縮してしまうような、膝まずいてしまいそうになるような、そんな威圧感のある太い声だった。 そして、の声と比べると若干、音が低かった。 「あなたは……」 「私は──」 ゆっくりと上体を起こすは、いつもとは違う目つきをしていた。 鋭いような、そして威圧感を感じさせる目力のある──そんな目をしていた。 これは……本当になのか? そう思わずにはいられない、そんな目だった。 to be continued....................
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