この世界に、一人の神が舞い降りた。
神はこの美しき世界に自然を、命を、愛を、全てを──芽生えさせる事を望んだ。
それは、ただ一つの世界の誕生のキッカケ。

神は大地を生み、水を生み、海を作り、草木を生やし、生命を生み出した。
葦の綺麗な大地を見ては、神は心を和ませた。

豊かな葦の原の世界……神はこれを豊葦原と名付けた。

そこには後に、中つ国と呼ばれる国が建国される事となる──幾億年も何光年も昔の、古い古いお話。
神のみぞ知りえる、豊葦原の設立のお話。









己が内に眠る者 第四話









「私は、葦原色許男神(あしはらしこのをのかみ)と申す
 この豊葦原を完成させた大地の神だ」


あり得ない、などこの世界の者が言えるはずもない。
龍神と言葉を通わせられるはずの神子、そして王族。
そして、龍神が神子の祈りに答え、輝血の大蛇を倒したという伝説。

疑う必要など、何一つなかった。

だって、明らかに目の前に居るじゃない。


「わけあって、娘の身体を借りて降臨させてもらっている」


まずはそれを理解してもらう事から、神は始めようとした。
そして、頷く様子の布都彦と千尋を見て、神は満足そうに頷くと──


「私どもが霧の中で出会った者は、常世の国の皇……皇(ラージャ)だ」


「「!!!」」


『やはり』という思いと、『そんな』という驚きの息が上がった。


「白き龍の神子に何かしようとしていたので、止めにこの娘が入ったのだが……」


「逆に、命を寄こせって、その人はに言っていたの」


神の言葉を紡ぐように、千尋が布都彦に告げた。
それは凄く簡潔で分かりやすく、布都彦の心を軋ませる言葉だった。


「命を……寄こせ、と?」


「うむ もちろん、私がそうはさせまいと現れたのだが……
 居所を隠す事は出来そうにない……この娘も、白き龍の神子も……逃げられはしない」


神の言葉に、布都彦も千尋も息を飲んだ。
それはつまり、いずれはあの強大な力と向き合わなければならないという事。


「この娘を──白き龍の神子を、頼むぞ」


そう言うと同時に、あたりに張りつめていた威圧感は消えた。
圧迫されていた者がなくなり、千尋と布都彦がホッと胸をなでおろした瞬間。


「──っ」


の身体がぐらりと揺れ、布都彦が慌てて抱きとめた。
未だに閉じられたままのの瞳。
そして、さっきまで動き喋っていたはずの唇は一文字を結び、その白い歯を見せてはくれなかった。


っ っ」


そう何度も布都彦は名前を呼ぶ。


「ぅ……ぁ……」


小さく声を漏らし、はうっすらと瞳を開けた。
先ほどまでの目つきとは違う、布都彦の見慣れた──あのの瞳。


「布都、彦 それに……あなたは……」


うっすらと開いた瞳からぼやけた視線に入り込んだのは、二人の姿。
そして、ぼやけた視界が広がると同時に姿を認識でき──布都彦と千尋だと確認出来た。


「助けてくれてありがとう……あなたがいなかったら、私、どうなっていたか……」


「いいえ 私、きっと何も出来てなかったわ
 だから、気にしないで……」


お礼を言う千尋に、はにっこりと──力なくだったが──笑顔を向けた。
何かをしてくれたのは、今しがた身に降りてきた人ならざる者、神なのだから。
そうやって、千尋を安心させようとしたのだが、いろいろと目の当たりにしてきた千尋には逆効果だった。


「ねえ、名前……なんて言うの?私は──」


 布都彦から名前は聞いたところだったの
 私は葦原千尋 宜しくね」


「──ええ、宜しく、千尋」


そう言葉を交わしてから、はようやく身体を一人で起こして座れるようになった。
身体は未だふらふらとするけれど、それももう少しすれば抜けるもの。

神の、強大な力が身に降りたのだから──仕方のない現象だ。


「──足音?」


そんな中、ふいな足音に千尋が首を傾げた。
布都彦とにとっては日常茶飯事だったせいか、あまり気に留めなかったが。


「嬢ちゃん、目が覚めたみたいだぜ」


「ほう、こりゃ、なかなかのべっぴんじゃねえか」


話声が聞こえたからか、ぞくぞくと砦の男たちが集まってきた。
そして、千尋をまじまじと見て呟いた。
その言葉は、まるで品定めでもしている者のようで。


「おい、布都彦 彼女がの言っていた“あの子”か?
 こんなべっぴんだとは……上手い事やったなあ!」


何をそんなに喜ぶのかと、布都彦は不思議そうに男たちを見つめた。
そして、もちろん隣に居るも呆れるような、諦めるような、そんな表情を浮かべて溜め息を吐いた。


「こんな綺麗な娘さんじゃ、さすがのお前も神託関係なく放っとけるわけないよなあ!」


「なっ……」


その言い分に、布都彦も驚かずにはいられなかった。
少しだけ不機嫌そうに男を見つめると、品定めでもする様に見つめる男と千尋の間に立った。


「私は、ただ神託を信じ、そして霧の中で迷った方をお助けしただけです
 と共に居たことから、神託の“あの子”だと分かりましたし……」


ムッとした表情が、一遍、キリッとした表情で並ぶ男達を順に見つめた。
そして、ハッキリとした口調でこう言った。


「そのようなお言葉、この方にもご迷惑となりましょう」


「またまた、そんな事ばっかり言って 全く、堅物でいけねぇや」


「それが布都彦のいいところじゃない」


男たちの言葉に、がそう言い返した。
確かに硬すぎる考え方だと思う事はあるけれど、それでもそれが布都彦の良さであり、特徴だ。
なにより、そういう個人の考え方を改めさせるのは無理がある。


「こら、みなで囲んで困らせてはいけませんよ」


そんな中、柔らかい口調で部屋へ入ってきたのは道臣だった。
布都彦にとっても、にとっても、そして千尋にとっても、道臣は救世主のように思えた。


「道臣殿」


「道臣 よかったわ、ちょうどいいところで来てくれて」


ホッとするような表情を浮かべ、は微笑んだ。
このまま話が進んでは、布都彦も困っただろうが千尋の方がきっと対応に困った事だろう。


「そのようだね」


の言葉に道臣は苦笑を浮かべながらも、同意の言葉を口にした。
見た感じからして困っているように見えたから。


「目が覚めたばかりで、まだ戸惑っておいでなのですから」


「そうだぜ、お前みたいにむさい男に詰め寄られちゃ参っちまうぜ」


「はっはっはっ、まったくだ あとは布都彦に任せときゃいいんだよ」


道臣の言葉に、ここぞとばかりに乗っかる男。
その様子を見て、一人の男が溜め息をついた。


「ちぇ、道臣殿に言われた途端にお前ら態度変えやがって」


白状なやつだとぶつぶつ言いながらも、男は苦笑を浮かべていた。
この砦の仲の良さが垣間見える瞬間でもあった。


「すまなかったな、お嬢さん 俺たちはもう行くとするさ」


それだけ言って、男達は踵を返して歩き出した。
まるで嵐が去ったあとのような……何とも言えない静けさ。
それを裂いたのは。


「二ノ姫、大変失礼を致しました
 この様な、ほとんど男しかいない場所で姫のような方がいらっしゃるのが珍しいのです」


「そうね 女と言ったら、私くらいだもの……仕方ないわね」


道臣と布都彦に助けられてこの砦へ連れてこられた時の事を、は思い出していた。
自分も似たような目にあったな、と……懐かしむような。



けど、二ノ姫って……



そんな中、は一つ耳に残った単語に気付き眉を潜めた。


「私は大伴道臣 この集団の長を務めるものです」


「助けていただいてありがとうございました
 私の名前は──」


布都彦やにもしたお礼を道臣にも向け、そしてまだ道臣に名乗っていない名前を名乗ろうと言葉を発するも。


「えっ?今、『二ノ姫』って?
 わ、私の事知ってるんですかっ?」


まさか、道臣からそんな返しがあるなんて思っていなかった千尋。
最初はスルーしてしまっていたが、名前を名乗ろうとして思いだした。

二ノ姫、という事を知っている──という事は自分の事を知っているという証拠だ。


「天鹿児弓(あまのかごゆみ)をお持ちでしたから、すぐに分かります」


記憶を失ってしまっているだが、知識だけは残っている。
この世界、豊葦原の事、中つ国の事、そして常世の国の事。
だからこそ、話には付いていける。

が失っているのは、自身に関する記憶だけなのだから。


「それにね、結構噂になっているのよ?天空をかける船のこと」


ふわりと微笑み、は言った。
実物は見た事がなかったけれど、それでも噂は絶え間なく耳に届く。

この筑紫にも舞い降りてきたのだと──もっぱらの噂だったから。


「ええっ?」


「高千穂を制した中つ国の二ノ姫が、筑紫に降り立たれた──と」


驚く千尋に、道臣は優しげに笑いながら言った。
けれど、その言葉に千尋は驚きながらも、少し複雑そうな表情を浮かべていた。


「千尋?」


「あの……『降り立った』という感じでもなかったんです……」


それは、あの船に乗っていたものでなければきっと分からない事。


「……布都彦?どうしたの?」


「あなたが……」


ハッと驚き、千尋のそばを離れた布都彦には気付いた。
疑問そうに首を傾げて問いかけた。


「あなたが……中つ国の二ノ姫……
 申し訳ありません 御前で騒ぎ立てるなど、大変な失礼を……」



ああ……
布都彦って、そういう性格だったものね……



申し訳なさそうに視線を反らし、そして頭を下げる布都彦を見ては思った。
上下関係を重んじているからこそ、二ノ姫とは知らずとも騒ぎ立てた事を気にしてしまったのだろう。


「謝られるような事、全然ないですよ」


けれど、そんな慌てる布都彦とは反対な反応を見せたのは千尋だった。
全く気にしたそぶりなど見せず、微笑んだままハッキリと言い切った。

それは、一国の姫としてはきっと失格なのかもしれない。

王家の者が、一般人と戯れる事はあってはならない。
けれど、千尋はそういう概念に囚われるような娘ではなかった。


「いえ、知らぬ事とはいえ無礼な振る舞いもございましたでしょう
 お許しも得ず、こんな場所にお連れ申し上げるなど……」


だって千尋が、助けてと言われた“あの子”が二ノ姫だとは知らなかった。
だからそれはしょうがないのだろうが。


「布都彦、千尋が気にしなくていいと言っているのだからいいんじゃないかしら?
 逆に気にしなくていいと言ってくれているのに気にしすぎる方が失礼に値するわ」


困ったように苦笑する千尋に気付いたが、そんな風に布都彦を窘めた。
いいと言っているのだから、いいのだ。
それを無視して、自分の思いを押し付けるなど──失礼極まりない。


「布都彦、姫をお救いしたのは功績だと思うよ
 山中では、いつ荒魂が現れるともわからない
 そんな中、よく行方の消えたを探し、姫をお救いしました」


布都彦は岡田宮に戻り次第、道中あった事をすべて道臣に報告していた。

霧が発生したこと。
が消えた事。
岡田宮に引き返した所で、倒れる二人を見つけた事。

全ては偶然だったかもしれないし、もしかしたら声の導く必然だったのかもしれない。
それでも、それは称えられる功績であったのだ。


「そうでした、姫、こちらをどうぞ」


そう言って差し出したのは一杯の水。


「ああ、裏の滝の水ね?道臣」


「ええ 水は穢れを祓うもの ご気分もすぐれるかと」


の問い掛けに道臣はすぐに頷き返した。
大自然である豊葦原の水は、とても美味しく──そして、澄んでいる。
それは、神に愛された土地だからか。


「……でも、こんな荒地にも水があるんですね」


受け取りお礼を言いながら、千尋は疑問そうに問いかけた。
けれど、その言葉に疑問そうな表情を浮かべたのは布都彦だった。


「荒地、ですか?
 このあたりは緑豊かな土地 荒地は見かけた事はございませんが……」


「え……そうなの?でも、さっきまでは……」


布都彦の言葉に、千尋はきょとんとした。
そう、だって、千尋はさっきまで荒れた大地に立っていたのだ。

そこに居ると共に。


「たぶん、あれは……この豊葦原の地ではないわ
 異空間、異世界……違う、異国の地だと思うわ」


は考え込むように、けれどしっかりとした口調で答えた。


「あの霧が惑わせ、多分私たちをあの世界へ連れて行ったのだと思うわ
 そして……神の力があったからこそ、そして、あなたの持っていた対の葉があったからこそ……戻ってこられた」


千尋の持つナギの葉が千尋を元の世界へと引っ張り、そして、神が二人を弾くように世界の外へと押し出した。


「神……?」


「そういえば、あの席に道臣はいなかったものね」


は覚えているのか?あの席の事を」


眉を潜める道臣に、苦笑いを浮かべながら呟く
そんなが神が降臨している時の事を覚えていて、少しだけ驚いていた。

大概、ああいう時は覚えていないものかと思うから。


「ええ と言っても、私も第三者として身体の内から聞いている感じだったけれど……」


まるで、入れ物を取られたかのように神に取って代わられた。
けれど、その神は温かくを包み込み、そして話を聞かせてくれていた。


「……そうね、道臣にも話さなければいけないわね
 でも、その前に……」


呟いていたは、考え込むように俯いてしまっている千尋に視線を向けた。
どうしたの?と視線が問い掛け、千尋はおずおずと唇を開いた。


「霧に惑わされて……というのなら、みんなもそれで居なくなってしまったのかな……
 まあ、みんなの事だから大丈夫だとは思うけど」


その言葉は、千尋がずっと他の仲間とともに居た事を示す。
そうだろう。
中つ国を支えるべきである二ノ姫が一人で行動するなど、あり得ない、あってはならない。


「心配ではないのですか?」


「そうね、少しは……」


驚く布都彦に、千尋は平然と答えた。
その様子は凛々しく、そして清々しく、強く心で思っている事があるのだと知った。


「……その仲間の事を、千尋は信頼しているのね」


そう、すぐに勘付けた。


「ええ ずっと一緒に戦ってきた仲間だし」


「そうですか きっと、頼もしい仲間たちなのでしょうね」


の問い掛けに千尋はコクンと頷き、そうだと言いきった。
いろいろな事を乗り越えてきた仲間だからこそ、信頼でき、そして大丈夫だと思える。

その絆の強さに道臣は感服しながら呟いた。


「霧が晴れたら、みんなのところに戻らないと……」


「そうね いきなり姿を消したのだとしたら……きっと心配されているわ」


戻らないといけない、戻らせないといけない。
だってそれは分かっているけれど、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
そして、それは道臣も同じ。


「姫、申し上げにくい事なのですが……この霧、すぐには晴れぬでしょう」


「え?」


霧なんて、すぐに晴れるものだと思うのが当然。
だからこそ、道臣の思いもよらない発言に千尋は間の抜けた声を上げてしまった。



だって、この霧は……











to be continued......................






神様登場ー!!(笑)
ちなみに、豊葦原を作った神ゆえに建国の際に力を貸し豊葦原の森羅万象を生みだす「龍脈」が具現化した龍神よりも葦原色許男神(あしはらしこのをのかみ)の方が強いです。
だって、世界を作った神ですから。
豊葦原あっての、大地あっての国で、そしてそれらがあるからこそ建国出来て、龍神も力を貸したわけですからね。
大地なかったら龍脈ないし……みたいな感じでしょうか。
ちなみに、空想の神様じゃありません。
まあ、話に合わせる為に所々変えたり、この話の冒頭のお話は空想ですが……ほぼ神話に登場した神を引っ張ってきてます(爆)

さあ、徐々にの正体?が明らかになりつつある……かなぁ?(#^.^#)