ずっとずっと……
私が覚えている記憶のうちでは──この筑紫は、霧に覆われていた










己が内に眠る者 第五話










「霧は最近、深くなるばかりで晴れる日がないのです」


間の抜けた声を上げた千尋に、布都彦がそう説明した。
それは真実で、記憶のないだってそれは知っていた。

日に日に増していく霧。

一応は見えなくなるほど発生しているわけではないのだが。
それでも、千尋を探しに出た時に発生した濃い霧が発生しない──とも言いきれない状態になってきていた。


「そうなんですか 弱ったな……」


仲間のもとへ戻るつもりでいた千尋にとって、それは予想外の足止めとなった。
左手を口元に持ってきて、考え込むように俯いてしまう。


「道臣 なんとかならないかしら?」


千尋から視線を道臣に向け、は助けを求めてみた。
やはり、はぐれた仲間を信じてはいても心配は心配なのだろう。


「そうだね……もし、船にお戻りになるのでしたら……」


の問い掛けに、道臣は苦笑を浮かべた。
言おうと思っていた事を促されるようなの発言が、少しだけおかしかったのかもしれない。


「私と布都彦でお送りいたしましょうか」


「私も行くわ 千尋の事を助けてと頼まれたのは私だもの
 もしかしたら、千尋の仲間の中にその声の主がいるかもしれないもの」


それは、ちょっとした希望。
いればいいな……という願い。
もちろん、いない可能性の方が強いということはだって理解している。


「そうだな もしかしたら──という事を考えたら、一緒に行った方がいいかもしれない」


の意見に布都彦も賛同だったのか、コクンと頷き道臣に意見を求めるように視線を向けた。


「……わかったよ
 私も、姫の仲間に二、三聞きたい事がありますし」



聞きたい事?



道臣のその言葉に、は不思議そうな表情を浮かべた。
その反応に道臣も気付いたのか、苦笑いを浮かべてすぐに視線を反らしてしまった。



道臣?



それが、余計に何なのかという疑問を生みだすキッカケとなってしまう。


達に神の事を聞きたくも思いましたが……まずは、姫の仲間に送り届ける事が先決でしょう
 この霧、いつ深くなるかも分かりませんから」


霧がある中、問いを向けるというのも危険が伴う。
だからこそ、砦か船で──と道臣は思ったのだ。

今はただ、千尋を安全に送り届けることを第一に。


「あの……いいの?霧、凄いし……大丈夫?」


千尋を抜いて話が着々と進んでしまっていた中、ようやく千尋が問いかけた。
送ってもらえるのは有り難いが、本当にいいのかと、霧は大丈夫なのかと──心配だった。

だって、千尋はその霧に惑わされ異界へと行ってしまったのだから。


「ええ、ご心配なく
 ここでの暮らしも長いものですから、地理には詳しくなりました
 今では庭のようなものです」


「それに、何かあっても私もいるもの
 それに、あなたには仲間に貰った葉があるのでしょ?」


道臣の言葉に付け足すように、も呟いた。
それは、千尋と同じ境遇で異界へと連れて行かれただからこそ言えた言葉。


「道臣殿、姫の臣下たちもみな、姫を案じておりましょう
 お加減がよろしければ、暗くならぬうちにお連れした方が……」


「そうだね」


布都彦は一度チラリと外を見て、道臣に視線を戻すと案を提示した。
その言葉に、道臣も頷き返す。


「いかがでしょうか、姫」


最終的にどうするかを決めるのは千尋。
だからこそ、決定を促すように道臣は問いかけた。


「……はい、もうすっかり元気になったし……大丈夫です
 みんなも心配だし、早く天鳥船に行きましょう」


お願いします、とペコリと千尋は頭を下げた。
その様子に、道臣と布都彦は顔を見合わせ頷き合い。


「じゃあ、行こう きっと、みんな無事よ」


千尋の背中を軽く押すように、は砦の出入り口へと向かわせた。
仲間の無事を案ずる千尋に、そんな優しい言葉を向けながら。










大丈夫かしら、千尋
私達はだいぶ慣れているからいいけれど……



岡田宮から出発したが、すぐに大きな船は見当たりはしなかった。
それはつまり“近くにはない”という証拠で。
だからこそ、大丈夫かと不安になる。


「姫、疲れてはおりませぬか?」


「そうね 歩きづめでは参ってしまうわ
 道も穏やかではないし……」


布都彦の問い掛けに、も同意だった。
は知らないから、千尋が今までどんな世界に居たのか……という事を。


「なにより、千尋は姫だもの
 こんなに長い距離を歩くなんて事なかったんじゃないかしら?」


「ううん、大丈夫
 ずっと生活をしてきた世界は、確かにこんなに道は険しくはなかったけど
 でも、学校まで歩いて行ったり、運動会とか旅行とか……いろいろあったから」


「生活をしてきた世界?がっこー?うんどーかい、りょこー?」


千尋の単語一つ一つ、の知らない言葉だった。


「姫がお隠れになられていた場所とは、どういう場所なのでしょう?」


その聞き覚えのない単語に、布都彦も少なからず興味を示した。


「うん……こことは違って、凄く平和な世界だったよ
 物騒な武器なんて、日常生活じゃ全然見かけなかったし
 こういう戦とかも、歴史の中の話だったし
 でね、私とか布都彦とかくらいの年齢の子はね、みんなで学校っていう勉強を教わる場所に通うの
 そこでいろいろ知識を得て、運動もして、それで運動会っていうお祭りがあって……
 学校の友達と旅行……何日間って決まった旅に行ってきたり、家族とも行ってきたり……」


「懐かしいのね、その世界での生活が」


「……うん
 私の故郷はこの豊葦原の中つ国だって言われても、やっぱり記憶の大半を占めてるのは橿原っていう街での生活だからね」


懐かしむように瞳を細める千尋に、は柔らかく微笑んだ。


「懐かしんでいいのよ?たとえ、生まれ故郷がここでも育った故郷はその橿原っていう場所なのだから」


「……うん 記憶が全部戻れば、きっとここを故郷だって思えるんだろうけど
 急がなくても……いいんだよね」


「ええ どこに居ても、あなたはあなたよ
 ゆっくり、馴染んでいけばいいわ」


千尋の言葉に、は柔らかく諭すように呟いた。
これでようやくいろいろと分かるものがある。
千尋が豊葦原の状態をいまいち理解していないこと。
そして、姫というには少しかけ離れた性質をしていること。

それはつまり、豊葦原を離れて暮らしてきて、記憶がなかったから。


「疲れたら、すぐに仰ってください
 ……無理はなさらぬように」


そんな三人の会話を耳にしながら、道臣は千尋にそう言葉を掛けた。
千尋がそういう世界で暮らし、平気だと言っていても──やはり千尋は姫。
無理などさせられるはずもないのだ。


「うん、わかった」


そして、そんな道臣の気持ちを酌んだのか、それともただの返事だったのか。
それは定かではないが、千尋は静かに頷いた。


「ねえ、道臣 千尋のいたという場所まで、まだ遠いのかしら?」


「そう遠くないはずだ
 聞くところによると、目立つ船のようだし近くなったら、おのずと見えてくるだろう」


「さようですか」


の問い掛けに、道臣は木々の葉の間を覗くように空を見上げて答えた。
どこに見えるのかは分からないが、それでも大きい事は確かだろう。

でなければ、噂にだってならないし、目立つはずもない。


「きっと、みな、あなたの帰りを待っておられましょう
 それまで、私共が姫をお守りいたします
 どうか、今しばらくご辛抱を」


にこりと微笑み、千尋にかしずく布都彦。


「……布都彦、ありがとう」


「さあ、話している暇はないはず
 先を行きましょう」


布都彦に対し、嬉しそうに微笑む千尋。
そんな千尋と布都彦を促すように道臣は呟くと、先頭をきって歩き出した。

チリンチリン。


「……っ!!」


鈴のような音が鳴り響き、道臣は慌てて落ちたソレを拾った。
も、ソレを見た事がなかったのか不思議そうな表情を浮かべていた。


「……?」


そして、それは千尋も同じだった。
両手を胸の前で組み、不思議そうに首を傾げる姿はのものと似ていた。



聞いてはみてみたいけれど……
でも、あの慌てたしまい方……聞かない方が、いいわよね



がそう思った矢先だった。


「道臣さん、それは何?」


その向けられた問い掛けに、は目を丸くした。
好奇心の方が、強く表れてしまったのかもしれない、千尋には。

だからか、問われた道臣は驚くような慌てるような、あまり見せない表情を浮かべて息を飲んだ。


「な、何のことでしょうか 私には分かりかねますが」


それはつまり“聞かないでほしい”という事の表れ。


「えっ?」


そして、千尋だってそんな返事が返ってくるとは思いもするはずがない。
だって明らかに道臣は“何か”を落としたのだから。


「今、何か落としたよね?
 珍しい形をしていたけど、道臣さんの大切な物?」


けれど、千尋だってめげる事が出来なかった。
気になってしまったのだから、確かめたい──そんな好奇心がありありと見えた。


「千尋……その辺にしておいたほうが……」


だから、はそう止めた。


「でも、気になるし……は気にならなかったの?」


「う……それは……」


そう振られてしまっては、も言葉を詰まらせてしまう。
気にならなかったと言ってしまえば嘘になってしまう。
けれど、千尋のように聞こうとまでは至らなかったのも本当で。


「こ、これはその……」


戸惑うような声が、道臣の方から上がった。
千尋とは一度互いの顔を見てから、ゆっくりと道臣の方に視線を向ける。
そこに居たのは、困ったような、言葉に詰まったような、そんな道臣だった。


「お、お守りのようなもので
 ひ、姫がお気になさるほどのものではありません……」


明らかに何かを隠している。
そう思わずにはいられない、道臣の発言。


「そ、そう……」


さすがの千尋も、そこまで隠されてしまっては聞けるはずもなく。


「……もう、よろしいですか?行きますよ」


「え、ええ……」


「参りましょう、姫」


「そうね」


道臣の言葉に千尋は頷くも、やはり釈然としないものがあるのかハッキリと頷けない。
けれど、布都彦とにまで催促されてしまっては、どうしようもない。

千尋は小さく一つ頷き、先を歩き始めた道臣の後を追うように歩き出した。










to be continued...................





本当はもっと先まで書こうかな〜と思ってたんですが、とりあえずここまでって事で。
千尋の橿原での話を布都彦達、仲間は聞いてるのかなぁ〜と疑問に思ったので、ここで書いてみました。
まあ、遙か4の漫画で夕霧とかが別世界に居た事を知っていたっぽかったので、多分異世界から来たと言う事は伝わってるんでしょうね。
ただ、どういう世界で、どういう生活をしていたのか……というのは知らないだろうなぁ〜と。
なので、そこの話をさせてみました。
一応、天鳥船に居る人たちは千尋が異世界から来たというのは知ってるでしょうから、そこはカットで(笑)