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「道臣、外に広がる霧はいったいなんです?」 それは、きっと初めて筑紫に足を踏み入れた者なら誰もが思う事だろう。 風早のように、かつての中つ国を知る者なら特に。 「知っている事があれば教えてほしいんですが」 「確かなことは私にも分かりかねます ただ……」 風早が、みんなが知りたいと思うのは道理だ。 そして、霧についての詳しい事を道臣達が知らないのも、またしかり。 「昔からあるわけではないそうよ、風早」 紡ぎかけていた道臣の言葉を紡いだのは、だった。 己が内に眠る者 第八話 「そうなんですか?」 の言葉を受け、風早が道臣に確認するように問いかけた。 信じない、というわけではないが長く筑紫にいる道臣に聞く方がより詳しい事を聞けると思ったからだ。 「ええ 中つ国が滅び、常世の国の支配が始まった頃から徐々に現れ始めたのです」 「……なるほど」 たったのそれだけの説明で、風早はきちんと理解する。 それだけ頭の回転が速いという事だろう。 「自然に発生した霧ではないのかもしれませんね」 そう言いきれるのは、風早が幾度も幾度も同じ運命を辿っているからか。 常世との戦に終止符が打たれると、必ずと言っていいほどに霧は晴れて綺麗な中つ国──豊葦原が戻ってくる。 だから、か。 「駄目だ、駄目だ! うんともすんとも言わね……」 溜息混じりに楼台に入ってきたのは、サザキだった。 諦めの空気をまとわりつかせてガシガシと頭を掻いている姿を見れば、は何かあったのかと思わずにはいられなかった。 「姫さん!!」 けれど、何かあったのかと問いかける前にサザキの嬉しそうな声が飛ぶ。 その意識、声は、二ノ姫である千尋へと向けられていた。 「サザキ!それにカリガネも!会えてよかった」 現れた二人の姿に、千尋はホッと胸を撫で下ろしていた。 この天鳥船に到着してから、ずっと二人の姿が見えなかったから千尋は心配だったのだ。 「ははっ、元気みたいだな 怪我もしてねぇみたいだし、安心したぜぇ」 「……ああ」 そして、千尋が心配するようにサザキとカリガネも千尋の事を心配していたのだ。 それは当り前の事だ。 そうよね 千尋だけ行方不明になってしまっていたんだもの 千尋からすれば、みんなが消えたように見えたかもしれない。 だが、実際には千尋だけが徐々に違う空間へと近づいていたのだ。 一緒に居た仲間と少しずつ隔てられながら、徐々に一人に…… 「それよりも、だ サザキ、船は動きそうか?」 腕を組み、淡々とした口調で現れたサザキに現状の確認を取りはじめたのは忍人だった。 「……ん?いや、駄目だ どこも壊れている様子はないんだが、動かねぇ」 一瞬きょとんとしたサザキだが、すぐに忍人に向き直るとお手上げだとポーズを付けながら呟いた。 いったい何が原因なのか、サザキにも分からないのだ。 「千尋、これからどうしますか? 船が動かないのでは、橿原に向かえませんが……」 びくともしない船。 だが、空を飛ぶ船なんてなかなか手に入るものではなく、そして捨てるには惜しい足だ。 だからこそ、千尋は無言のまま考え込んだ。 「私は霧が気になる このあたりで話を聞いて調べてみたいんだけど……」 「……決まりだな」 真剣な面持ちで呟く千尋に、忍人は反対せずに言葉に頷きを返した。 千尋の願うとおりに、ことは進むようだった。 「なら、まずは情報収集ですね ここから西に村があるんです そこに行ってみましょう」 「詳しいのね」 すぱすぱと段取りを決めていく風早に、は苦笑しながらも関心の言葉を述べた。 千尋に聞いた話では、風早も千尋と同じ異世界で暮らしていたはずだ。 そんなの言葉に、風早は「ええ、まあ」と苦笑を浮かべた。 「それじゃあ、行ってみようか 道臣さん、布都彦、 ここまでありがとう」 「いいえ、礼には及びません」 にこりと微笑みお礼を呟く千尋に、道臣は首を左右に振った。 確かに千尋を助けたわけだし、天鳥船まで連れてきたのも三人だった。 けれど、道臣にだって風早達に聞きたかった事があったのだから、お礼を言われるほどの事でもないのだ。 まして、相手は中つ国の姫。 「姫、どうか、くれぐれもお気を付け下さい」 「そうよ、千尋 あなたは、中つ国になくてはならない方なのだから」 一ノ姫がいない今、散り散りになった中つ国を支えられるのは千尋しかいない。 国を継ぐはずの一ノ姫が、今は神のもとで守られている今、動けるのは── 千 尋 だ け 、 な の だ か ら 。 「……道臣 君にお願いしたい事があるんですが」 「なんでしょうか?」 唐突な風早の発言に、道臣は驚きの表情を浮かべた。 千尋に向けていた視線を慌てて風早に向け、言葉を待つ。 「先生が今、陸路(くがじ)で橿原へ向かっています 君の砦にいる兵力を連れて、先生の別働隊と合流してもらえませんか?」 「……それ、は」 争いを拒む道臣にとって、兵力を上げる事は避けたいことだった。 まして、中つ国を取り戻そうと橿原へ向かう風早達に合流するなど。 「常世の国との戦いに思うところはあるでしょうが……」 「……風早」 千尋が見つめる先にいる風早の姿勢は、本当に中つ国を復興させる事を望んでいるものだった。 復興させるためには兵力が必要で、その兵力を道臣が持っていたから。 道臣が戦いを嫌っている事は知ってはいた、風早だって。 それでも、必要だった。 「……道臣さん 私からもお願いします どうが、私達に力を貸して下さい」 そして、その願いは千尋も同じものだった。 争いのない世界に、悲しむ人のいない世界に、千尋はしたいと思った。 レヴァンタとの戦いで、それを強く痛感したから。 「………………姫」 それでも、すぐにすんなりと頷く事は道臣には出来なかった。 それでも望まれたから。 自分の力を望まれたから。 だから、道臣は。 「わかりました」 そう、承諾することが出来た。 それはきっと、苦渋の決断だったかもしれない。 自ら戦火の渦の中に飛び込むようなものなのだから。 「私は、砦の兵たちを連れて師君のもとへ合流しましょう」 「道臣っ?」 ずっと戦を避けていた道臣が、そう呟く事には驚いた。 きっと今回は首を縦には振らないだろうと思っていたから。 ……ああ、そうよね 二ノ姫である千尋がいるんだもの…… 主あっての兵だ。 王となれる二ノ姫のお願いでは、無碍に出来ないのかもしれない。 「ありがとうございます」 嬉しそうに笑みを浮かべる千尋。 そして、その近くで風早も嬉しそうにお礼を口にした。 きっと、駄目もとだったんだ。 「それと、念の為に布都彦を──」 「私もここに残るわよ、道臣 まさか、私だけ砦に残す──なんて言わないわよね?」 布都彦だけの名前を口にした道臣に、はにっこりとほほ笑みながら首を傾げた。 まだ、怖いわよ 人を殺すことも躊躇い、いつも布都彦に助けられてる私がいても足手まといかもしれない でも…… 「私の中には葦原色許男神(あしはらしこのをのかみ)が下りてくるのだもの、一緒にいたほうがいいわ それに……私だって過去の記憶はないけれど、今は道臣の所の兵よ? 女だから、記憶がないから、足手まといになるかもしれないからという理由で置いていかれるのは嫌だわ」 それは、平等に扱ってほしいという表れだった。 自ら望んで人を殺しにはだって行きたくはない。 それでも、今は岡田宮の兵が必要とされているのだ。 「そこまで言われたら、あなたは何としても行くのだろう?」 「ええ、もちろん」 道臣も、の頑固さを理解していた。 「なら、布都彦とを置いてゆきます 姫の助けとなりましょう」 しょうがないな、という風に肩を落とし道臣は言葉を続けた。 「布都彦 分かっているとは思うが、姫とを頼む も、無理のない程度に……」 「ええ」 「はっ!この身にかえましても、お守りいたす所存です」 コクリと頷くに対し、布都彦は熱く返事を返した。 それだけ上の者への忠誠心が強いのだろう。 「本当にありがとう」 「いえ……私はこれで失礼します」 千尋のお礼を受け、軽く首を左右に振ると道臣は楼台を出て行った。 「……布都彦、 これからも宜しくね」 「……はい」 「こちらこそ 戦力外かもしれないけれど、宜しくね」 そんな風に挨拶を交わした布都彦と。 そして、すぐに一行は霧の謎を解くべく出発するのだった。 to be continued
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