「もうすぐ山ノ口だね」


静かな景時の声が耳に届いた。
初めての戦で、の心臓はバクバクと脈動し続けていた。
口から出てきてしまいそうなくらい、激しく。


「情報が正しければ、敵の陣があるはずですね」


その情報が正しいかどうかを調べるために、ここへやってきたのだ。
望美の"あの発言"があったから。


平家の陣は、実は偽物なんです


普通ならば信じられない、とんでもない発言だ。


あの陣は還内府の罠なんです
 このまま攻め込んだら、後ろから攻められてしまいます



平家の間者ではないかと疑われてもおかしくない発言。
けれど望美が白龍の神子だから──ということが、ここまで来た決め手だった。











雲の通ひ路 第十四話











「どうも、変な感じじゃないか?」


「変?でも、嫌な感じはしないよ?」


「そうなんだ 敵陣が近いにしては静かすぎる」


「あ」


景時と白龍のやり取りを聞いていて、気付いた。
確かに、これから戦が始まろうとしているにしてはピリピリとしたものがない。
京ですら感じた、あの戦前独特の感覚が全く感じなかったのだ。


「へえ そんな事言ってさ、本当は自陣に戻りたいだけなんじゃねぇの?」


「そ、そんな事ないって あははっ、やだなあ」


ヒノエの指摘に景時は慌てたように否定を返す。
笑顔を浮かべ笑い声を軽く上げるけれど、説得力がなく見えてしまう。


「おいおい、騒ぐなって 一応偵察に来てるんだからさ」


だから、ヒノエは笑いだした景時に釘を刺した。
自陣に戻りたいとか戻りたくないとか以前の問題だ。


「もちろん、忘れてなんかいないって」


言って、景時は口ごもった。


「景時さん?どうか……したんですか?」


不意に真剣なまなざしをしたから、はゴクリと息をのんだ。
じっと不安そうな視線で景時を見つめ、問い掛けた。


「もしかしたら……」


「もしかしたら?」


そこで止まってしまった景時の言葉に、不安が募る。



いったい何が言いたいの?



分からなかった。


「敵がいないとか?」


まるで分かっているかのように、真剣な眼差しで望美は問い掛けた。
疑問形で言っているのに、なぜか断定形に聞こえてしまう。


「そうそう ちょうど、そんな感じだよ」


「確かに……戦前にしては、少し静かすぎる……かな?」


戦は初参戦なにはよく分からなかった。
分からなかったけれど、戦前に京で感じたピリピリ感がここでは全く感じなかった。


「うん だが、周りに部隊を潜ませている様子もない
 待ち伏せじゃあないとすると……」


そこまで言ってくれれば、さすがのにだって予想はついた。
その言葉が綴るもの、すなわち。


「あの陣には誰もいない……って事?」


「うん、そうに違いないと思うよ」


の問い掛けに景時は強く頷き返した。
それは、"思う"というニュアンスで言葉を濁していても断定しているようなものだった。


「そうなんですか?」


だからこそ、譲は目を見開き驚きを隠せなかった。
陣に居ると思っていたのだから、当然だろう。


「うん 間違いないって」


「では、源氏の陣に戻って報告しなくてはなりませんね」


「折角ここまで来たんだからさ、敵の本陣を突き止めよう」


断定しきった景時に朔は戻らないと、と口にした。
けれど、さすがは戦奉行とでも言うべきだろうか。


「兄上 本当に大丈夫なんでしょうね……
 ここには、戦に慣れていない望美やがいるのよ?」


「大丈夫だって」


心配する朔に、景時は明るく微笑んだ。
それだけ、自分の意見が間違っていないと確信しているのだろう。


「それじゃあ、行きましょう」


望美のそんな言葉が、共に山ノ口へとやってきた全員の足を前へ進ませた。










「誰もいないね」


「本当に偽の陣だったんだな」


白龍の言葉に続き、譲はいまだ驚いていた。
見てもいないのに分かった事への驚きが隠せないのだ。


「ちょっと……うん、凄くビックリしたかも」


譲の驚きに、も納得だった。
だって、普通分かるはずもない。


「よく、遠くから見ただけで分かりましたね、景時さん」


「ほんとにね 何か見抜くコツとかでもあるんですか?」


呟く望美の言葉を貰い受けるように、が続けて問い掛けた。
だって、コツでもない限り分からないように思えたから。


「コツっていうより、オレもこういう作戦をよく使うからね〜
 直接戦うのって大変でしょ?だから、囮とか陽動とか砦作ったりとか、すぐ考えちゃうんだよ」



ああ、なるほどね
確かに、そういう手段を取る人なら見抜ける……かな?



景時の答えを聞いて、は何となくだけれど納得出来た。
経験者が語る──ではないけれど、経験したことがなければ分からないことではあった。


「戦わずして勝つってことかな?」


「そうそう、それ!
 見かけ倒しって悪い言葉だけどさ、見せかけだけで勝てるんだったら、それが一番いいと思うんだよね」


「それは確かに、分かるかも
 やっぱり誰にも傷ついてほしくないし、傷つけたくないもん」


望美の問い掛けに、景時は嬉しそうに微笑んだ。
確かに言葉は悪いかもしれないが、誰も傷つけずに勝てるならそれに越したことはない。
だからこそ、も同意の言葉を述べることが出来たのだ。


「見かけだけでも役に立つなら、それでいいって思うでしょ?ちゃんも」


「まぁ、こういう事は手段を選んでもいられないですしね」


役に立つものは何でも使え、そのまんまだと思った。


「あれは……」


「リズさん?」


耳に届いた声に、は首をかしげた。
何を見つけたというのだろうか、リズヴァーンはある一点をジッと見つめていた。


「見ろ 新しい足跡がある」


「足跡?あ……本当だ」


言われて初めて気付いた足跡。
リズヴァーンの指し示す場所を見つめ、はポツリと声を漏らした。


「おおっ!さすがリズ先生!こんな暗闇で、よく見つけてくれました」


見つけた証拠に、景時は嬉しそうに呟いた。
これが、敵の本当の陣を見つける第一歩となるのだから当然だろう。


「やっぱり、こういうものがある方が敵の本陣を探すのは簡単なんですか?」


「うん、それは勿論ね」


の問い掛けに景時はコクンと大きく頷いた。

それから、景時はすぐさま部下に命じて偵察を続けた。
その結果、平家の本陣が三草山の向こう側──つまり、鹿野口にあることが分かったのだ。







「帰ったか で、敵陣はどうだった?」


あれから、すぐさま情報を九郎へと伝えるために達は自陣に向けて出発した。
そして到着した達を待っていた九郎は、結果を問い掛けた。


「それがさ〜、山ノ口はもぬけの殻だったよ
 あのまま突っ込んでいたらやばかったね」


「そうか……偽の情報を掴まされていたのか」


景時の報告に、九郎は眉間にシワを寄せた。
掴んだと思った情報は、敵が故意に流したものだったと分かれば悔しさは込みあがってくる。
もちろん、それを表に出してしまうほど九郎は状況の分からないものじゃない。


「でもさ、敵の本陣をちゃ〜んと見つけてきたから安心してよ」


肩をすくめ、けれど胸を張りながら自信を持って景時は言った。
自信がなければ報告だって出来るはずもない。


「やったな、景時!これで平家の奴らの裏をかける」


その発言に、九郎も満足そうだった。
無理もない、向こうは嘘の情報を掴ませたと思いこみ続け余裕をこいているのだろうから。


「裏をかく……ね
 平家は源氏をはめるために三草山まで来てるんだろ?」


「何か案でもあるの?ヒノエくん」


は、ヒノエの企むような表情を捕らえた。
だから首を傾げ問い掛けると、楽しげなニッとした笑みをヒノエは浮かべた。


「その裏をかくなら、三草山に来た平家軍を素通りしてさ、一気に福原でも落してみるかい?」



……はぁっ!?



いくらなんでも、その提案には驚いた。
戦を知らないでさえも、それは驚く提案だった。


「ちょ、ちょっと待って」


「そうだよ、ヒノエくんっ」


景時の待ったに、も慌てて声を上げた。


「源氏は京を守るって大義のために出陣したんだよ〜
 オレは戦奉行として、反対しなきゃならない」


いつにもまして真面目な表情を浮かべた景時に、は生唾を飲んだ。
それだけ、とんでもない提案だったという事が手に取るように分かった。


「この三草山の平家軍と戦わないわけにはいかないよ」


「もしも福原に行っている間に、京を落とされたら意味がないよ!?」


景時同様に、も『無理だ』と思い断固反対した。
けれど、望美は無言のまま話を聞き、流れを見守っているだけだった。



……望美?



まるで、何かを決意しているような。
そして、この先を知っているような……不思議な視線だった。


は初陣だからね、そういうのは尤もだと思うけど……大局はちゃんと見えてるのかい?」


「何が言いたいんだい?ヒノエくん」


「オレは、最後に源氏が勝つことの方が大事だと思うけどね」


しらっとした表情を浮かべ、ヒノエはあっさりと言いきった。
そして、それは至極尤もなことでもあった。


「平家がわざわざ三草山と福原に兵力を分けてくれたんだ
 平家に打撃を与えるのに、今以上の好機なんてそうそうないだろうぜ」


「でも、これが罠って事はないの?さっきの偽の陣みたいに……
 源氏がこういう手に出るって見越して何か仕掛けてないかな?」


ヒノエの発言に、やはりは不安を拭えなかった。
だって、平家は偽の情報を流したり偽の陣を作ったりしていたのだから当然だろう。


「だけど、全てに関して『もしかして』と疑ってたらキリがないだろ?」


「う……それはそうだけど」


ヒノエの言う事も良く分かり、は言葉を失ってしまった。
口をへの字に曲げて、最終的に決断を下す九郎が何というのか──と視線を向けた。


「ヒノエの言う事にも一理ある
 だが、どのみち三草山を抜けなくては福原にはたどり着けない」


「つまり、ここにいる平家の軍とは必ず戦わなきゃいけないって事ですか?」


その言葉の続きが分かり、は九郎に問い掛けた。
ギュッと拳を強く握りしめ、答えを待つ。


「ああ、そうだ」



やっぱり……



そして、帰ってきた答えに内心溜め息を吐いた。
どうしたって、戦わなきゃいけないという事に、心臓が痛くなる。



人の命を……奪う……
私が、この手で……



今までそんな経験などあるはずもなく。
の心労は募っていく。


「九郎も、福原攻めに乗り気のようですね
 平家が押さえている街道意外の道さえあれば、ヒノエの案を実現できます」


「そんな道があるというのか?」


弁慶の口調は、あたかもそうだと言っているようなものだった。
だから当然だろう、九郎がそうやって興味を示すのは。


「ええ、地元の者だけが知っている山道があります
 春にこちらへ偵察にきた時、源氏に引き入れた地元の男がいます」



抜かりないなぁ……弁慶さんって



いけしゃあしゃあと言い切る弁慶に、は感心せずにはいられなかった。
というより、凄すぎるというか出来た軍師だと思わせるほどだった。


「彼に案内させましょうか」


「来てるんですか?」


「ええ」


の問い掛けに頷く弁慶が連れてきたのは、と望美と同じくらいの少年だった。
その少年はこの近くで猟師をしていたらしく、平家が陣を張っている鹿野口を通らずに福原に抜ける道を知っていると言っていた。


「彼に案内してもらえば、三草山の平家と戦わずに福原へ向かえますね」


「確かにそうですけど……」


それは確かに魅力的な案ではあった。
戦わずに平家の居る箇所を叩ければ、それこそ安心な事はない。


「今、福原を落とすと……どうなるんですか?」


「平家との戦の終わりを早めることも出来ますね」


の問い掛けに、弁慶はにっこりと微笑んで答えた。
戦の終わりが早まるということは、つまりは早く平和が訪れるということだろう。


「福原が平家の手にある限りは、京は咽元に短刀を突き付けられているようなもの……ってことですよね?」


ずっと押し黙っていた望美が、そんな風に問い掛けた。
その言葉に一瞬戸惑った弁慶だが、すぐにいつもの笑顔を浮かべ「ええ、そうです」と答えた。


「だとしたら、今回、三草山の平家の軍を叩いても同じことの繰り返しじゃありませんか?」


福原に居る平家を何とかしない限り、どうにもならない。


「──九郎さん」


決断を促すように、望美は九郎を見つめた。
望美の知っている先。
けれど、今回は今までとは少し違う──がいるから。
もしかしたら運命は変わるかもしれない、そう思い──望美は九郎を見つめたのだ。


「分かった、福原を攻めよう
 敵の計略を察知できただけでなく、間道を知る者が味方にいるんだ
 これほどの勝機、逃せるはずもない」


それは、福原攻めへと一歩を踏み出す第一声だった。


「うん、九郎さんならきっと勝てるよ」


「ああ、俺は勝てる ……ありがとな、望美」


後押しするように呟いた望美の言葉に、九郎は嬉しそうに微笑んだ。
その言葉に望美は嬉しそうに微笑み、九郎を見つめる。









もう、運命は決まってしまった。
戻る道は、もう閉ざされてしまった。

カラカラと、源氏一向の運命を背負う歯車が回りはじめた。



私に出来る範囲で……頑張ろう
みんなを……守ろう

私はそのために呼ばれたんだから



決意を新たに、は九郎達の話す軍略へと意識を向けた。








to be continued.....................





第三章……とんでもない感じに始まりました。
あああああ……頑張らねば、です!
内容が内容なので、甘さは皆無です……早く弁慶さんとの絡みを書きたい(笑)
ヒノエとのも……うっはぁ〜♪






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