好かれるのは嫌な事じゃない
もちろん、照れるし恥ずかしいし、どうすればいいのか分からなくて困るけど……嫌じゃない

だけど……

なんでだろう、あの人の事が気になる……あの人の、反応が……










雲の通ひ路 第二十話










「……よし それじゃ、いってきま〜す」


軽くそう口にすると、は京邸を飛び出していった。
少しだけ心配そうなヒノエと弁慶の視線を背中に浴びながら。



あそこまで心配しなくてもいいのにね
って、ヒノエくんはまだしも、なんで弁慶さんまで?



くすくすと、つい笑ってしまいながらは思った。
ヒノエは自分に思いを寄せていると言う事を本人から聞いてしまっているため、納得は出来てしまう。
けれど、弁慶までもがそんな心配げな視線を向ける意味がよく分からなかった。



そんなに治安悪いのかなぁ?



結果、の考えはそこに至ってしまう。
けれども、心のどこかで少しだけ嬉しい気持ちがポッと灯っていた。


「えーっと……こっちであってるかな?」


先日、基幸に手渡された紙に視線を落とし道を確認した。
住んでいる場所が分かっても道を知らなかったは、今日、即座に九郎に問いかけたのだ。













「九郎さん、九郎さん!」


パタパタと足音を立てて、は慌てたように九郎の元へ向かったのだ。
今日も望美と稽古をするつもりだったのか、京邸に来ていたから。


「なんだ、か」


「あのっ、ここへの行き方教えてもらえませんかっ!?」


「ここ……?ああ、基幸という者の家に行くと言っていたな」


の渡した紙に書かれた住所を見て、九郎はようやく納得をした。
それから少し待つように言うと、どうやら朔に借りたのか地図を片手に戻ってきた。


「今いるのがここだ そして、基幸の家はここ」


「あ、それだけ分かれば行けると思う!ありがとうございます、九郎さん!」


さすがに元の世界のように入り組んだ作りになっていない京。
現在地と目的地がどこにあるのかさえ分かれば、簡単に行けてしまうのはとても楽だった。

にこりと微笑み、は九郎にお礼を口にすると。


「あ、この地図、借りるわけにはいかないですよねっ」


「いや、借りてくる際にに持たせてもよいか訪ねておいた」


「え?」


「持っていっていいそうだぞ」


まさか、そこまで配慮してくれていたとは思わなかったは、九郎の言葉に目を白黒させてしまった。



そ、そこまで考えてくれてたなんて……全然思わなかった
九郎さんの事だから、すっかり忘れてて口ごもるかと……



そんな事を思っては失礼かもしれないと思いながらも、はそう思わずにはいられなかった。


「ありがとうございます、九郎さん!もぉ、凄い助かりました!!」


「いや こんな事でが喜ぶのならよかった」


「それじゃあ、お言葉に甘えてお借りして行ってきます!
 あ、望美との鍛練、頑張ってくださいね」


行ってきますと同時に駆け出そうとしただが、慌てて立ち止り振り返った。
その様子に、初め九郎は何なのか分からず首を傾げていたのだが──続けられたの言葉に笑った。


「頑張るのは俺ではなくて、望美だろうがな」


「あははっ、それは違いない!」


そう言って笑いあって、は手を振りながら駆け出した。
そして、廊下の曲がり角で立ち止り、再度くるりと九郎の方に向いた
そのの表情には、にやりとした笑みが浮かんでいた。


「でも、いつか望美に越されるかもしれないですよー?望美には、九郎さんと同じく鞍馬の鬼のリズさんが付いてるんだから
 ね、昔は徒党組んで暴れてた、遮那王こと牛?」


「なっ!おまっ、なぜそれをっ!?!?」


「あはははあっははははは」


驚き慌てる九郎を見つめ、は笑いながらスッと姿を消した。
九郎が過剰に反応してしまっていたのは、他でもない『牛』の部分だ。
自分が徒党を組んでいた事だって、リズヴァーンに剣を習った事だって、すでに周知の事実だ。
そして、遮那王だと呼ばれていた時期だって、知っている人はいるわけだからが知っていてもおかしくはない。

が、今はもう九郎の事を『牛』と呼んでいた者は殺されてしまい──その呼び名を知る者はいないと思っていたのだ。










「すみませーん」


の声に反応するように、家から出てくる人の姿。
その姿はの良く知る人物だった。


「あ、基幸!よかった、会えて!」


農作業でもしていたのか、基幸は汗だくで泥まみれだった。


「ああ、か どうしたんだ?」


「どうしたんだじゃないよ 夏祭り、皆で行く事になったから、基幸もって!
 その話をしにきたんじゃん」


首を傾げる基幸に、はぷっと吹き出して笑ってしまった。


「あ、そういえばそうだったな」


「忘れてたでしょ でね、景時さんは用事があるから一緒に行けないらしいけど、他の皆は大丈夫だって」


「そうか んじゃあ、明日当たりにでもって感じか?」


「うん、多分そうじゃないかな?」


の話を聞いて、基幸は行く日取りの検討を口にした。
その言葉に、もコクンと頷いた。


「分かった じゃあ、明日──日が沈むころにそっちに行くな」


「うん、待ってる あ、仕事中にごめんね?邪魔しちゃって」


コクンと頷き返したは、すぐにハッと思い出したように謝った。
泥まみれで汗だくと言う事は、仕事をしていたという証拠だ。
そして、なんとなくの思い描いた通りの仕事のようで苦笑が漏れる。

兵士みんなが、九郎や景時、弁慶のような者じゃない。


「いいっていいって 俺みたいな仕事なんて、別に遅れても誰にも咎められねぇしな」


構わないと笑う基幸に、は嬉しそうに微笑んだ。
まだ、付き合いは長くはないけれど、それでも凄く大切な友達で。


「そう言ってくれると凄い嬉しいよ!そういうとこ、私、好きだよ」


昨日、望美に注意されたばかりだというのにはまだそんな事を口にした。
嬉しそうに微笑みながら、そしてその笑みを見れば基幸だって深い意味もない言葉だと理解する。


「俺も、あんたみたいな奴は好きだぜ?」


唯一無二の、大切な大切な友達。
特別な感情を抱いていないからこそ言い合える言葉。
そして、それを理解してくれる。


「それじゃ、私、そろそろ行くね 帰り遅いと煩い人が多いから」


苦笑を浮かべながら、は肩を竦めた。
煩いというより、必要以上に心配する──と言った方が言葉は当てはまるかもしれない。


「ああ 気を付けろよ!」


「うん!」


軽く手を振りながら、は基幸の家を後にした。
行く先は京邸──ではなく神泉苑だった。











「はぁー……やっぱり、水辺なだけあって涼しいや」


水辺に近づき、はほぉっと息を吐いた。
近づけば近づくほどに、風で運ばれてくる冷気が冷たくて心地よい。



暑いけど、現代より涼しい方だよね……きっと



温暖化でどんどん暑くなっていく現代に比べ、比較的まだ風も通るしアスファルトがないだけ暑さも違う。
近くの樹の幹に寄りかかり、ストンとその場にしゃがみ込んだ。


「夏祭り……早く来ればいいんだけどなぁ」


それがには凄く楽しみだった。
そういう楽しみなことがあったからこそ、今こうしていられるのかもしれない。

コツンと後頭部を樹の幹に当てて、葉と葉の間を見つめた。
キラキラと間から差し込む光が神秘的で、は瞳を細めた。



うー、なんか眠くなってきた……かも……



開けていたまぶたが、徐々に重くなってくるのをは感じた。
閉じまいと何度も開くまぶたに相反して、は必死に起きていようと目を見開いていた。

けれど、暑さと心地よい涼しさが合わさり奮励の甲斐なく、眠りに落ちてしまった。













「……、遅いわね」


遅くなる前に戻ってくると言っていたの帰りがまだな事に気付いた朔がポツリと呟いた。
何度玄関に行っても帰ってくる気配はなく、溜め息をついては居間へ戻る。


「朔?どうしたの?」


そんな朔の様子に気付いた望美が、汗を手拭いで拭きながら近づいていった。
そこには、一緒に稽古をしていた九郎の姿も一緒にあった。
そして、少し離れた場所にはヒノエと弁慶の姿が。


の帰りが遅いからどうしたのかと思っていたところよ
 望美は知らない?」


片手を頬に当て、困ったように問いかけた。
やはり一人で行かせるべきじゃなかったのか、と朔は考えていたのだ。


「確か、遅くなる前に戻ってくると言ってなかったかい?」


「ええ、そうなのよ」


ヒノエの問い掛けに、朔は頷きながら同意の声を漏らした。
だからこそ、安心して出させたのだ。
まだ、昼間のような明るい時間帯なら安心は安心だから。
行く場所も、そう治安の悪い場所ではなかったから。


「ですが、もうすぐ日が沈み始める時刻です そろそろ戻ってきてもよいはずだと思いますが」


弁慶は外をちらりと見つめ、肩を竦めた。
まだ日は出ているが、徐々に日は傾き──もうじき空は朱色に染まり、暗くなる。


「仕方ありませんね 探してきましょうか」


「なら、オレも行くぜ」


一歩踏み出しながらの弁慶の言葉に呼応するように、ヒノエも一歩を踏む出した。
まるで、弁慶には負けないとでも息まくように。


「おや、僕一人ではこころもとありませんか?」


くすくすと問いかける弁慶に、ヒノエはふんっと顔を背けると一足早く玄関へ向かった。
弁慶もも、互いの事を少なからず気にしている事を知っているから。
だからこそ、なんだか弁慶一人に行かせるのは面白くなかったのだ。


「では、行ってきますね 君たちは、さんが戻って来た時の為、邸で待っていてください」


それだけ残すと、弁慶はヒノエの後を追うように京邸を出発した。











to be continued.................





ヒノエに微妙な嫉妬をさせてみました(笑)
あと、二人の心配をよそにはすやすやとお昼寝中……なんて罪作りな(笑)

そうそう、作中にが九郎の事を「牛」と呼んで驚くシーンがあり、かつて「牛」と呼んでいた者が殺されていると書いてありますが……実はこれ、大河ドラマ「源義経」のネタ?を引用してます。
そのキャラと義経の関係?が好きだったし、牛若を牛と呼ぶという発想が好きだったので……(笑)






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