涙を見られたのは恥ずかしかった
弱音を聞かれたのも……

だけど、嬉しかった

弱い私を認めてくれて、吐き出したいものを引き出してくれて……



が落ち着くまで抱きしめてくれていた弁慶の腕。
その温かい温もりを、は忘れられなかった。








雲の通ひ路 第二十五話








あの日までが、もしかしたら一番穏やかな日々だったのかもしれない。
祭が終わってから九郎はますます忙しくなり、毎日のように偉い人達と会っているようだった。
鎌倉へ行った景時も、未だ戻ってきてはいなかった。


「ふふっ、夕涼みには持ってこいの場所ですね」


縁側を歩いていたの耳に飛び込んできた声。
なんだろうと思い、そちらへ近付いてみれば人が集まっていた。


「どうしたんですか?みんなして、こんな所で……」


「最近暑くなってきたでしょ?だから、ここで涼んでたんだ
 も一緒に涼む?」


「ああ、なるほど じゃあ、私も涼もうかな」


問いかけたの言葉に、即行答えてくれたのは望美だった。
首を傾げる仕草を見つめ、は少しだけ「うーん」と考えてから頷き返した。


「それにしても、敦盛くん よく見つけてくれました ありがとう」


「いや……礼を言われるようなことではないと思う」


素直に弁慶の礼を受け取らない敦盛。
けれど、それもなんだか見慣れた光景なわけで。


「この先の季節、京の暑さはさらに強まる
 涼風を得られる場所は貴重だ」


けれど、そんな敦盛を褒めるようにリズヴァーンは言葉を紡いだ。

その言い分は確かなもので、納得してしまうほど。
は他のみんなと違い京の夏を体験したことはなかった。
だからこそ、リズヴァーンの言葉は『そうなんだ』と思えるものだった。


「まだ暑くなるなんて……
 体調を崩す人が出たりしなければいいのだけれど」


「うん……確かに、朔の言うとおりかも
 私も望美も譲も気を付けないといけないね」


現代組である三人は、自然の暑さには疎い。
ずっとクーラーなどの冷房器具のある場所で育ってきたからこそ、だろう。


「そうですね 慣れない土地ですし、夏バテには気を付けないといけませんね」


「うん 今のうちに体力をつけておいた方がいいのかも」


譲の言葉に、望美は大きく頷き返した。
体力を付けてはたしてどの程度まで耐えられるかは分からないけれど、きっと何もしないよりはマシなのだろう。


「そんなことよりもさ、暑苦しい京を離れるってのはどうだい?」


不敵な笑みを浮かべ、望美に提案を持ちかけるヒノエ。
その言葉の直後に聞こえてきた足音に、望美はピクリと反応を示した。


「何を話しているかと思えば……」


その反応の直後、呆れ顔の九郎が口を挟んできたのだ。
気にしているからこそ、気付けるのかもしれない。

その足音が、彼のものだと。


「俺達には京を守るという大事な役目があるんだ
 簡単に離れられるか」


「それは源氏の大将である九郎の都合だろ?
 オレ達には関係ないさ」


九郎とヒノエ。
二人の立場はあまりに違いすぎる。
確かに、源氏の大将である九郎が京を離れるわけにはいかないのは分かる。
けれど、それを全員に押し付けてしまうのはどうかと……ヒノエは言いたかったのだ。


「姫君が望むなら、避暑にお連れ申し上げたって……いいんだぜ?」


ふわりと微笑み、射抜くような視線をに向けた。
その視線に、はハッとして視線を反らしてしまう。


「避暑かぁ〜
 いいなぁ 行くならそうだなぁ……」



え、もしかして、望美行く気満々!?



ヒノエの提案に乗り気な望美の反応に、ハッとした。
これはつまり、ヒノエの思うがままに話が進んでいる──という事だ。


も、口を挟んでこなかったんだし、いいんでしょ?」


「え、ちょ、望────」


「ヒノエくん 行くなら、私、海がいいかなって思うんだ
 夏と言えば青い海!ってね」


の静止の言葉も聞こえず、望美はスパスパっと言葉を紡いだ。
この先に待っている出来事を望美は知ってはいる。
それでも、少しは気分転換になればいいのに、と思わないわけでもないのだ。


「へぇ」


望美の口から海が出てくるとは思わなかったヒノエは、感嘆の声を漏らした。
だって、こういう風に話が自然と流れてくれればヒノエは自らの故郷へ案内することが出来る。

を────案内したい、と欲が出る。


「当然、海の案内役はオレに任せてくれるんだろ?」


チラリとを見つめながら呟くヒノエは楽しげな笑みを浮かべていた。


「え、あ……う、うん?」


頷くものの、語尾が疑問形になってしまう。
“みんなと回る”と分かっているのに、構えてしまう。


「誰か来るな 虫が静まった」


リズヴァーンの静かな口調に、望美ももハッとようやく気付いた。
先ほどまで聞こえていたはずの虫のさえずりが聞こえなくなっていたのだ。


「ああ、みんな こんな所にいたんだ」


「景時さんっ おかりなさい、お疲れ様」


現れた景時の姿に、一瞬驚くものの出迎えの言葉を口にした。
鎌倉まで行っていたのだ、さすがに疲れているだろうとは思った。
だからこそ、出てきた言葉だった。


「景時さんはどこに避暑に行ってみたいですか?」


先ほどの話題の続きを、突如景時に振ったのは望美だった。
それだけ京の暑さにうんざりし始めているのか、それともただ単に避暑に向かうのが楽しみなのか。
……多分、後者だろう。


「え?避暑??
 突然どうしちゃったんだい?」


「望美、驚くのは当然だよ 景時さん、話全然知らないんだから」


「あ、そっか」


すっかり景時も話を知っている風に話を振るものだから、は苦笑しながら望美に突っ込んだ。


「今、みんなでどこか避暑に行けたらいいねって話してたんです
 だから、景時さんの希望も聞いてみたくて」


「ちなみに、望美は海なんだよね〜」


「うん やっぱり涼しそうだし」


先ほどの会話を思い出しながら、と望美は頷き合った。
そんな話を耳にすれば、景時もようやく話を飲みこめ、納得出来る。


「あ、そういうことか そうだなぁ……
 今は鎌倉から帰ったばっかりだからね〜」


「もしかして、景時さん、まずはゆっくり休みたいですか?」


「さっすがちゃん!分かってるね〜」


問いかけるに、景時は軽く笑いながらそれが本音だと頷き返した。
さすがに帰ったばかりで避暑に行く──なんて考えられないものなのかもしれない。

それだけ疲れているという事だろう。


「それで、景時
 兄上は何かおっしゃっていたか?」


「あ〜うん……特に九郎への伝言は承っていないよ」


期待する眼差しを向ける九郎に、景時は言いづらそうに呟いた。
兄弟といっても、達の世界のように仲がいいわけではないようだ。

もちろん、達の世界の兄弟だって仲の悪い人だっているのだが。
なんだか九郎と頼朝は、それとは違うような気がしていた。


「で、でもさ 鎌倉の町でも評判になってたよ〜 九郎の福原攻略は凄いって
 会う人みんなに、この前の戦の話聞かれて、大変だったんだから」


「鎌倉の町にも九郎の名声が鳴り響いているんですね
 鎌倉殿のお膝元で……」


それだけ、九郎の戦ぶりが凄かったという事だろう。
そして、この戦を勝利へと導いた懸け橋だったのだから、当然と言えば当然だろう。


「鎌倉殿も内心、さぞ鼻が高いでしょう」


にこやかに笑い呟く弁慶に、は少しだけ視線を反らしてしまった。
その言葉には、素直に頷けなかったからだ。

だからといって“違う”なんて非難の声を上げられるわけもない。



頼朝は……そんな人じゃない、のに……



歴史で知る頼朝は、そんな弟思いな兄ではなかったような気がした。
些細なすれ違いや、周囲の言葉に翻弄されていたのかもしれないけれど……
それでも、本当に弟を思っている兄だったのならば、最後にあんな手段に出たりはしないだろう。


「そ、そうじゃないかな
 頼朝様はそういう事、あまり表に出さないけど……」



あ、れ……?
景時、さん……?



ふと、景時の反応には違和感を感じた。
もしそうだというのなら、そうだと思うのなら、もっと素直な反応が返ってくるはずだ。

なのに、今の景時の反応は少しだけ……そう、取り繕うような、そんな風には感じた。


「それで、勝ち取った福原のことなんだけど……」


「何かあったんですか?」


戦の事なんて詳しくない
勝ったんだからそれで終わりかと思ったのだが、そうじゃなかったようだ。


「陸は源氏が押さえたけど、海はまだ平家の方が優勢……ってことだろう?」


そんなの疑問に答えてくれたのはヒノエだった。


「源氏の水軍は瀬戸内に入れないからね
 平家がいつ海から福原を取り戻しに来ても不思議はないよ
 源氏の水軍を連れてくるにしても、紀伊水道が通れないからね」


「えっ!?それってヤバイんじゃ!?」


「ああ、そうだね
 紀伊湊の平家の水軍が紀伊水道を押さえているからね」


ヒノエの説明を聞いて、ようやく現状のヤバさを理解した
驚きと焦りの含んだ声を上げたに、ヒノエは小さく頷き理由を口にした。


「でも、その水軍を何とかすればいいんじゃないの?」


「俺達だけでは水軍相手に攻める事はできん」


「え?」


「沖に逃げられてしまえば追う事も出来ないからな」


源氏の水軍は瀬戸内に入れないと聞いたばかりだった。
だから、九郎の言葉には「ああ」と納得してしまう。
攻めても逃げられては意味がない、手段がないのだから。

ただ、ひたすらに源氏の被害が拡大するだけだろう。


「それに、紀伊湊を攻めるにしても熊野に動かれると困るんですよ、さん
 万が一、熊野が平家と手を結べば、源氏の水軍は全滅しかねません」


「それだけ……熊野の水軍は強い──って事ですよね」


源氏が弱いんじゃない。
それを勝ってしまう勢力があるのだ。


「言いたい事は分かるよ 熊野の本宮は平家方についたことがあるからね
 鎌倉が熊野を警戒するのは当然だろうけど」


「福原を維持するためにも、今後平家を追って西へと攻め進む為にも……
 熊野の同行を見定める必要があるということか」


それだけ、源氏にとって熊野は強敵ということだろう。
今回の源平の戦に熊野は参加していない。
だからこそ、兵力は温存しているはずだ。


「景時 兄上は熊野との交渉について何かおっしゃっていなかったか?」


「ああ、熊野水軍の協力を取りつけてくるようにとの仰せだったよ」


簡単に言葉にするが、実際交渉しに行くとなれば苦労は絶えないだろう。
そして、景時の言葉は九郎が考えていた答えと一致したようだった。
それはつまり、九郎と頼朝の考えが一緒だったということで。

嬉しそうに微笑む姿を見れば、頼朝の事をとても尊敬している事が窺えた。


「ならば、行かねばなるまい、熊野へ」


「でも……そんなに簡単に協力してくれるかな?」


「九郎が出向いたからって味方になるとは限らないけどさ
 いいんじゃない?何もしないよりはマシなんだし」


行かなくてはならなくなったとしても、それと協力してもらえるかは一致しない。
してもらえるかもしれないし、してもらえないかもしれない。
そればかりは、行動に移さなければ分からない事だった。


「熊野に行くとなると、少し大変ですね」


「そうなの?」


「熊野は山深い土地ですからね」


熊野に行ったことのないは、熊野がどういう所か想像もつかなかった。
だからこそ首を傾げて、弁慶の問いかけてしまう。


「『徒歩で行くのは大変だ 翼があればいいのに』と言った参拝者までいますよ」


「ええ〜!?」


弁慶の話に、は素っ頓狂な声を上げた。
それは、つまり、それだけ大変だという事の表れなわけで。



……熊野、辿りつける、かな?



何となく、それが不安だった。


「明日は京を発つ準備で忙しくなりそうですね
 遠出にはまだ不慣れの方もいる事ですし……そろそろ休みませんか?」


チラリとを見つめてから、弁慶はにっこりと提案をしてくれた。


「そうだね……じゃ、おやすみ」


弁慶の言葉に、真っ先に反応を示したのは今しがた返ってきたばかりの景時だった。
確かに鎌倉から帰ってきたばかりなのだから疲れているのは当然だろう。


「うん それじゃあ、おやすみなさい」


だからこそ、特別深く追求せずにはにっこりと笑みを浮かべて踵を返した。
ゆっくりと身体を休める為に。
そして、熊野への出発を楽しみに夢路へ向かう為に。











to be continued







とうとう四章まで来ちゃいましたね。
ようやく、将臣以外の八葉がまた揃いました(笑)
熊野での話……今から書くのが楽しみでなりません(^^♪






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