「今日はお前だけ特別に別室に医者を用意させた」


身体検査当日。
食事をするに向けて、父親はそう淡々と言った。


「でも、今日学校に集まるのって……」


ふと、は思いだした。
鳳家の経営する病院から医者が来ていたはずでは……と。


「お前の事は理事長や校長などにも宜しく伝えてある
 こういう事が出来ないわけがないだろう?」


そう言われてしまえば“なるほど”と納得してしまう。
だからこそ、誰にも秘密がバレることなく過ごすことが出来る。
そして、あの情報網の凄い鏡夜でさえの秘密に辿りつくことが出来ていないのだから……


「一年生の身体検査の間に、お前は私の用意した医者に診てもらえ
 二年生の身体検査が始まったら、身体に大きな怪我をしていて人様に見せられないとでも嘘を吐けばいい」


「……うん、分かった ありがとう、お父さん」










イトシイヒト 第十三話










『只今より一年生の身体検査を実施させて頂きます』


掛ったアナウンスに、は視線を上げた。
向けるは教室のスピーカーだ。


『恐れ入りますが、一年生の皆様は各校舎の保健室へお足元にお気を付けてお越しくださいませ』


それが、が席をはずす合図そのものだった。
席を立ち、教室を抜けるを見つめる環と鏡夜だが──ハルヒからそれとなく話を聞いていたのかに話しかけようとはしなかった。
否、たぶん話しかけられなかったのだろう。

実際にその現場を見たわけじゃないが、話の内容やハルヒの口ぶりからして尋常ではない空気を鏡夜も環も感じていたから。


「……鏡夜」


「ああ、分かっている だが、何も分からない現状で下手に手は出せないだろう」


そんなを見つめ、環と鏡夜は自らの無力さに溜め息すら出なかった。


「あら、くん?」


「これから行われる身体検査は一年生のはずよ?」


アナウンスを聞くと同時に教室を出て行こうとするに、女生徒二人が話しかけた。

ゆっくりと歩調を落としながらは振り返り、にこりと笑顔を浮かべた。
そこにあったのは、何度か部活へ顔を出してくれていたことのある人たちだったからだ。


「それみたことか!やーっぱりは女好きだな!」


「嫌いな男とも仲良くしてるように見せて、ホスト部なんて部活に入部するくらいだもんな」


その言葉に、鏡夜も環も眉を跳ねあげさせた。
もちろん、即座に何かを言い返すという事はしなかったが。


「な!なんて言い草なのかしら」


代わりに即座に反応を返したのは、に話しかけた女生徒の一人だった。
口をへの字に曲げ、男子生徒の方に向いて腰に手を当てている。


「いや、あの人の言うとおりだよ 確かに、うちは男は嫌いだからね」


軽く女生徒を制しながらは苦笑を浮かべた。
だって、否定することの出来ないほどの真実だ。


「じゃあ……」


「でも、他の男がわんさかいる部活にわざわざ入るよりは、女の子がたくさん来るホスト部に入部する方が賢明だと思わない?」


いかにも、それが理由ですと言わんばかりには言葉を並べた。
全てを偽り、心を隠し、虚像を見せる。

それは、言ってしまえば本当の自分を誰にも見せていないのと同じだった。


「話がそれちゃったね で、聞きたかったことってなんだったっけ?」


ふいに、自分が呼びとめられたのだと思いだし首を傾げた。
呼び止めたという事は“今”聞くべきことがあったということだろうと判断したのだ。


「あ、二年生の身体検査はまだのはずよ?」


「ああ、そのことか」


問われて、は納得すると苦笑を浮かべた。
にこにこと人懐っこい笑みを浮かべたまま、その口から簡単な理由が述べられた。


「ちょっと、身体に大きな傷があってね?あまり人に見せられるようなものじゃないからさ
 だから、先生に事前に相談して、特別に別室で見てもらえることになったんだよ」


「そうだったの?」


くん、大丈夫?」


「うん 傷自体は治ってるからね 見た目の問題だよ」


女生徒の問い掛けに、は笑いながら即座に答えた。
だって、これは別室で検査してもらうための“嘘”なのだから。


「なら、いいの」


の言葉で納得出来たのか、女生徒はにこりと笑った。
その笑顔を見て、はくるりと踵を返すと教室を後にした。










「……上手く騙せたかな?」


チラリと後ろを振り返り、ホッと胸を撫で下ろした。
隠し続ける為には、全てを偽り、嘘を重ね続けなければいけない。
嘘を重ねれば重ねるだけ、嘘で塗りたくられた自分を演じなければいけなくて。



……いつまで隠しとおせるかな?



肩を竦め、溜め息を吐いた。
は、なんとなくだったがいつか訪れるであろう均衡の崩壊を予感していた。

だって、いつまでも嘘を吐き続けることなんて出来るはずがない。
どこかでボロが出て、必ずどこかでバレる日が来る。


「なんて、言われるんだろう」


バレた時の事を考えると、少しだけ怖かった。
なんと罵られるのか。
そして、部活にもしかしたら居られなくなるかもしれないと考えると……少しだけ胸がキリキリと痛んだ。


「さてと、いったん担任の元に行っとかないとヤバイよね」


一応話はついているのだろうが、の事情を担任も知らないわけだ。
きちんと“嘘の理由”を並べておく必要があるだろう。
そう考えたは、歩みを身体検査の別室へ向ける前に職員室へと向けた。









「……さて、俺達もそろそろ向かうとしよう」


「そうだな!ハルヒも待っていることだ!」


立ちあがる鏡夜に、環は嬉々として立ちあがった。
ハルヒの役に立てるのが嬉しいのか、ただ単にこういう祭り事が好きなのか。


はいったいどこで検査をしてるんだろうな」


腕時計を見つめ、時間を確認しながら鏡夜はポツリと独り言のように呟いた。
同じ男に見せるわけなのだから、そこまで身体の傷を気にする必要だってないはずだ。

もちろん、ホスト部だからこそ女生徒へのサービスも必要になるが……

そういう事情があるとすれば、鏡夜だって他の手を打つことが出来た。
それをせず、独断の判断で勝手に進め──こうして別室での検査となったのだ。


「確かに、鏡夜ん家から医者が来てるはずなのに鏡夜に情報が流れてないなんて珍しいな」


「ああ それは俺も不思議に思っていた」


「だが、それよりも目先のハルヒの問題の方が大事だぞ、鏡夜!」


「分かっている だからこうやって、わざわざ出向いてやってるんだろう」


「保健委員だからじゃなくてか?」


廊下をツカツカと進みながら、思い思いの事を口にする鏡夜と環。
そんな環の最後の言葉に、鏡夜はただフッと笑みを浮かべるだけだった。









「ああ、事情はお前の親御さんから聞いているよ
 第一保健室の近くに別室を儲けさせたから、そこへ行きなさい」


「はい ありがとうございます」


先生にも、が女ということは伏せてある。
だから、の親がこの先生にした話もいわゆる“嘘”である。


「ああ、保健室の隣の部屋は違う子の別室として使用しているから、間違わないようにな」


「わかりました」


忠告を受け、ペコリと頭を下げるとは職員室を後にした。



違う子かぁ……ハルヒかな?
ハルヒも女だし



と同じく性別は女なハルヒだが、と違って部員は事情を知っている。
というか、男と偽らせて暮させている原因がホスト部なのだから当然と言えば当然なのだが。


「あれ?くん まだ一年生の身体検査の時間のはずよ?」


別室へ向かう際、一年生のホスト部常連の女生徒には声をかけられた。
確かに、場違いといえば場違い極まりない


「あ、うん ちょっと事情があって、うちだけ別に検査してもらう事になってるんだ」


「事情?」


「ちょっと人には見せられない怪我があってね」


そう言えば、誰もが「あ……」と声を漏らして深く追求はしてこない。
そして、誰もがを男と信じ疑わない。


「大丈夫だよ 間違っても女子の検査にまぎれたりはしないから」


クスクスと笑いながら告げると、ヒラヒラと手を振りながらは道中を急いだ。
もし、ここでハルヒやハルヒが女だとバレないように試行錯誤をしている部員に会ってしまったらと考えると、気まずいことこの上ない。
だからこそ、は急いだのだ。









「……あれ?」


ちょうど、環のおバカ騒動が終えた頃。
ハルヒは鏡夜に指示された通り、保健室の隣の教室へと向かう為に保健室から出てきた所だった。



あれは……先輩?



なんだか久々に見かけた気がしたの姿に、ハルヒは首を傾げた。
なぜ二年生のがこんな場所をうろついているのだろうと、首をかしげずにはいられなかった。


「……あ、違う教室に入ってった……」


なんだったんだろうと首を傾げるも、ハルヒも検査をしてもらうために保健室を後にしたのだと思いだし慌てて隣の教室へと歩みを向けた。
の事も気になるが、今は自分の身体検査が目下、通り過ぎなければいけないことだ。

コンコン。


「どうぞー」


「失礼します」


ドアをノックすれば聞こえてきた女性の声。
その声に返事をするようにハルヒは呟くと、静かに教室の中へと姿を消した。








「……ここ、かな」


教室のドアを見つめ、一つ息を吐くと。

コンコン。

教室のドアをノックした。
軽い音が響くと同時に、中から「どうぞ」という声が聞こえた。


「失礼します」


言うと同時にドアを開け、中へとは入っていった。


さんね?話はあなたのお父様から聞いているわ
 向こうで上着を脱いでちょうだい」


その言葉には頷くと、奥に用意された部屋で上着を脱いだ。

そこからは、とんとんとんとスムーズに事は運んで行った。


「なぜ男のフリをしているかは知らないけれど、大変な事情でもあるのね
 まあ、またこのような事があったら、またお父様にでも相談しなさい」


そうすれば、の父の息のかかったものがやってくる──と遠巻きに言っているも同じだった。


「そういえば、さっきから隣の部屋の方が騒がしかったみたいだけど……何かあったのかな?」


「そうね……ようやく静かになったみたいだけど、少し慌ただしさは感じたわね
 でも、何の放送も入らないのだもの、大丈夫だったんじゃないかしら?」


そう言われてしまえば、『そうかな』と思うしかない。
は「そうですか……」と小さく呟く事しか出来なかった。


「それじゃ、一応、これでいいわよ」


それは、制服の袖に手を通していいという意味だった。
静かに頷き、が制服を置いてある場所へ向かおうとした瞬間だった。


先輩、大丈夫ですか!?!?」


そんな大きな声が上がった。
同時にドアが開き、そこにはハルヒを含めホスト部男子メンバーがそろっていた。


「「「「「「「────!!!」」」」」」」


「出てけぇぇぇぇぇえええっぇぇぇぇぇぇっ!!!」


裸ではなかったけれど、それでも下着姿を見られた事には変わりはなく。
は悲鳴に近い声を上げた。
その言葉に、反射的に全員が慌てて教室の外に出てドアを閉めた。








「……い、今のはいったい……」


ドアを背に、呆けに取られながら呟いたのは環だった。
誰もが完全にを男と思っていたのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが。


「そういう事か……」


「鏡夜?」


「数日前のの様子が変だった事も、ハルヒから聞いた話も、今日の事も……
 が女だとすれば、全てが一致するだろう?」


一人納得していた鏡夜だが、環の問い掛けられればすぐに理由を口にした。
そう言われてみれば、確かに合致する点が多すぎる。


「……先輩が……女性?」


ちゃんがぁ〜?うーん……確かに、そう取れるような行動をしていたような気もするけどぉ〜
 ……でも、ちょっと信じられないよぉ〜」


ハルヒも光邦も驚きを隠せず、今見たことを嘘だと思いこみたい衝動に駆られていた。
それと同時に“なぜ男のフリをするのか”という疑問も浮かぶのだが──今はそれどころではなかった。


「ありがとうございました」


部屋の中からくぐもった声が聞こえた瞬間、ガチャリとドアが開いた。
中から出てきたの表情は少しだけ不機嫌そうで、そしてジロリと全員を見渡した。


「……なんで、あんた達がここに?
 一年は身体測定だし、保健委員な鏡夜は仕方ないにしても環は場違いじゃない?光邦先輩も、崇先輩も」


「僕達は、ハルちゃんが心配で来たんだよ〜」


「……ああ」


の問い掛けに、率直に答えたのは光邦と崇。
明るい答えと正反対な崇の低い声に、は一瞬ビクッと肩を揺らすがすぐに何事もなかったかのように装うと。


「じゃあ、なんでハルヒだけじゃなくうちの所にまで?
 てか、なんでうちがこの部屋にいるって……?」


この教室に来るなんて誰にも話していないし、先日の同じクラスの男子との騒動以降部活にだって顔を出していない。
鏡夜や環にも事情は話していなかったからこそ、疑問は膨大した。


「あ、それは自分が
 隣の教室で身体検査を受けに来た時に、この部屋に先輩が入っていくのを見たんです
 だから、さっき自分の部屋に男の人が入ってきて騒動になった時に『先輩は大丈夫かな?』って心配になったんで……」


「それで、鏡夜達に話して一緒にここに突入したと?」


「……はい すみませんでした」


女性だと思わなかったのだから、突入してしまうのは凄く自然な行動だろう。
それでも突入した結果、は女性で恥ずかしい姿を異性に見られてしまった事には変わりなく、同じ女であるハルヒは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「いいよ、ハルヒ 知らなかったんだからしょうがない
 というか、うちが誰にもバレないようにしてきたんだから、知らないのは当然だよ」


酷い事を言い部活にずっと行っていなかった自分を心配して来てくれたと思うと、少しだけは嬉しかった。


「……でも、どうして男装なんて?自分と同じで、部員の誰かに男装させられてるわけじゃないみたいですし」


「まあ、そうだね 男装させられてたら、鏡夜達が知らないはずがないし」


ハルヒの問い掛けに肩を竦めたは、苦笑しながらポツリと返事を返し。


「うちが女だって事は、両親と理事長や校長くらいしか知らないよ
 あとは、何が何でもバレないように徹底してきたからね」


そうやって、ずっとは自分の身を守ってきていた。
女であることを偽り、男として生き、なるべく女性と接するようにしてきた。


「でも、男装の理由は言えない 言いたくない」


断固拒否する姿勢を、は見せた。
一瞬にして一線を引き、踏み入る事をは許さなかった。


「……それじゃ、うちはもう戻るよ ハルヒ達も身体検査に戻った方がいいんじゃない?」


それだけ告げると、早々にその場を立ち去ろうとは踵を返した。
一緒に居る事にはなれた。
話すことも、近づく事も……ある程度は慣れた。

それでも、それに限度はあった。


「……ちゃん、部活にはまた来てくれるんでしょぉ〜?」


カツカツと靴音を鳴らし歩くの背中に、光邦が心配げな声をかけた。
ずっとずっと休んできた部活に、今更ながら参加なんて。


「……うちなんて、いない方がいいと思いますよ?
 酷いこと言っちゃったし、うちがいなくても部活は成り立ちます」


それだけ言うと、または歩き出した。
後ろから復帰してほしい声が幾度も上がっても、は振り向きもしなかった。



復帰したくないわけじゃないんだけどな……



復帰したい気持ちは、少なからず持ってはいた。
それでも、酷い事を言ってしまったという罪悪感が拭いきれず部活にいけなかった。

そして、自分が女だとバレてしまったからこそ──余計に行きづらい。



あの居場所、嫌いじゃなかったんだけどな



男は嫌いだ。
それでも、部員メンバーだけはある程度は苦じゃなくなってきていた。

それぞれが何かを抱えていて。
だからこそ、それぞれの反応に敏感で。

が男と必要以上に近づかない、話さない事を理解すればそう徹底してくれた。
立ち去るを無理に引き止める事もなかった。

だから、凄く居心地はいい方だった。


「一時的な感情に任せて、とんでもないこと言うんじゃなかった……」


同じクラスの男子に言った言葉が、今、凄く悔まれた。
悔やんでも、もう取り返すことのできない言葉。


ともいろいろ、話してみたかったな……」


多分、部活を辞めてしまえば接点なんてほとんどなくなってしまうだろう。
運があれば、学校のどこかで会う事はあるだろうけれど。

それは、だけじゃなく一年のハルヒや常陸院兄弟も、三年の光邦と崇にも言える事だった。

だが、後悔しても、もう遅い。
あとはただ、ひたすらに今の運命を突き進むしかないのだ。










to be continued





身体測定、側視点でお送りしました^^
一応、変質者騒動も裏では起きていましたが、は直接関わり合わないので(^^ゞ






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