放っておくべきなのかも知れない。
関わらないで欲しいなら、関わらなければいいんだと思う。

今までのあたしなら……きっと、そうしてただろうし。

でも……今のあたしはきっと、そう出来ない。
……いや、『したくない』。

これが、自分のワガママとかエゴとか、そういうものだってわかってるけど。
あの場所に、あの人の笑顔がないのは……やっぱり、寂しいから。













イトシイヒト 第十四話













人気のない廊下に、少し早足で歩く音だけが響く。

ホスト部の部室でもある第3音楽室がある周辺は、普段使う機会が少ないだけあっていつ来ても人気が少ない。
部の活動時間になれば、女子生徒で溢れて賑やかになるが………SHRが終わってからすぐ教室を出てきたため、まだ辺りは静かだった。

そして、だからこそ急がなければ……と思う。
ホスト部の活動時間まではまだ間があるし、その前にあそこに行かなければ行けないから。
他のお客たちが来てしまう前に……。









「こんにちはー」


音楽室の扉を開けると、やはりまだ準備前だったらしい。
部屋のセッティングも終わっていないし、ホスト部の面々もまだ制服姿のままだ。
どうやら狙ったタイミングで来る事が出来たようで、は内心でホッと胸を撫で下ろした。

一方のホスト部は全員揃って、そんな準備前の時間に現れたまさかの人物に驚いたのか、ポカンとした表情でを凝視していた。
あの鏡夜でさえ、この登場の仕方は予想外だったのか、目を見開いている。


「「っち!?」」


「わー!どうしたの?ちゃん。お誘いする前に来てくれたの、初めてだねぇv」


「あ、そう言えばそうでしたっけ?」


確かに、自分がホスト部に来るのは主に双子かハルヒに誘われた時で、自分からここに来た事は、最初を除いて皆無だ。
最も、最初に来たのも単なる偶然で、別に来ようと思って来たわけではなかったが……。


ちゃん……!ようこそ、来てくれて嬉しいよ!
 そうか、こんなに急いで駆けつけてくれるほど、おとーさんの事が恋し」


「くないですし、別に須王先輩に会いに来た訳じゃないですし、そもそもあたしはアンタの娘じゃないです」


嬉し涙でも流しそうな勢いでの元に駆け寄って来た環だったが、とりあえず違う方向に行きかけた後半の言葉にはツッコミを入れておいた。
それこそ、ハルヒでもそこまでキツくないだろう、と突っ込まれそうなほど遠慮なく。



ホント、このアホさ加減さえなければ素敵な人だと思うんだけどなぁ……。



内心でそんな事を思いながら、ここに来た目的を果たすべく教室の中を見渡す。
一瞬固まった後に泣きながら体育座りを始めた環も視界に入るが、もうパターンなのでそれは無視だ。

だが……ぐるりと見回してみても、やはり……


先輩、来てないんですか……?」


今京室内にいる部員たち全員の顔を見回すが、やはりそこには一人足りない。
そもそも、自分からここに来た目的であるその人の名前を言うと………途端に、皆の表情が変わった。
悲しげだったり、困っているようだったり、なんとも形容しがたい複雑な表情だったり……と、感情はそれぞれ異なっているようではあったが……。
だがそれでも、がいないこの状況を良く思っている人はいない、と言うことは確かだろう。


ちゃん、本当に辞めちゃうのかなぁ……?」


の問いに答えらしい答えを返す人はおらず、代わりに少しの沈黙の後、光邦がそう呟いた。
戸惑いを含んだ声で……けれど、寂しそうに。


「辞める……?先輩、部活辞めたんですか?」


「まだわかんないけど……でもちゃん、『自分はいない方がいい、いなくても部は成り立つ』って言ってたから……」


うさちゃんをぎゅっと抱きしめたまま、光邦は悲しげに呟いた。
その他の面々も、いつの間にか復活した環も、皆同じような表情だ。
若干の戸惑いと、心配と、寂しさと……そんな感情が入り交ざった、表情。
きっと、それ以来はここに来ていないのだろうと、それで容易に察する事が出来た。

そして……にはその言葉が、無性に悲しかった。

いなくてもいいなんて事はない。がいなくても部が成り立つなんて、そんな事ない。
確かに、今まで皆を騙していた事に変わりはないのかもしれないが………を待っている人もたくさんいるし、必要としている人もたくさんいるのに……。


「そうですか……わかりました。
 それじゃ、どーも準備前にお邪魔しました」


ぎゅ、と手を握りしめ、はその場で踵を返した。
元々今日は、彼女に会うために来たのだ。そのがいないのなら、これ以上ここに用はない。


、もう帰っちゃうの?」


「うん。今日は先輩に会いに来たんだ。ここにいないなら、いそうなとこ探してみるよ」


と言っても、"いそうなとこ"なんてほとんど見当がつかないが……
それでも、このまま諦めて帰るよりはずっとマシだ。
例えそれが、ただの自己満足に過ぎない行動でも……今、何もしないと言うのは嫌だから。


「だが、あいつを探し出してどうするつもりだ?」


踵を返し、彼らに背中を向けた瞬間、鏡夜のそんな声が聞こえた。
いつもと同じように冷静な………けれど、どこか固い声。


「どうって……」


「そもそも、普段は他者と必要以上に関わりを持とうとしない君が、なぜ今回に限って首を突っ込む?」


顔の向きだけを変えて鏡夜に向き直ると、こちらを向いているその瞳は、いつもよりも鋭いような気がした。
何だか不思議だ。普段は腹が立つくらいのポーカーフェイスなのに、この間からが関わるとそれが崩れる。

その問いにすぐには答えず、はじっと鏡夜の瞳を見返した。
その間は誰も口を開かず、必然的に沈黙が落ちる。
自身も、探していた。鏡夜の問いに直結する答えを。

そして……


「好きだからです、先輩の事」


数秒の沈黙を置いて呟かれたのは、たったその一言だった。

に会いたいと思う理由。ここに戻ってきて欲しいと思うわけ。
その理由は色々あるが……結局は、この一言なんだろう。
を待ってる彼らや、たくさんの人のために………なんて、そんな偽善的な事を言うつもりはない。
ただ、自分がまたと一緒に過ごしたいから。

向こうが好きでそうしてるなら、なんて無関係を決め込んで、必要以上に関わりを持たないで……今まではそうだったけど。
でも今は、そうすると本当に失くしてしまうかもしれないから。
それはもう、嫌だから……。


「す、すすすすすす好きッ!?」


「ええ〜〜!?そうだったのぉ!?」


「ちょ、っちそれ、マジで言ってる!?」


「は?もちろん、マジに決まってるじゃん」


何だかみんな異様に動揺してる気がするが、それはとりあえず置いておく。
それに、早くを探さないと、学校を出られたらもう探しようがなくなってしまう。
がここにいないならもう今日はホスト部に用はないのだし、早くを探しに行かなければ……。


「それにあたし、今回はまだ先輩と一度も話してないから。
 言いたい事もあるし、直接話もしてみたいんだよ」


再び彼らに背を向けて、振り向きざまにそう告げる。
その言葉に、何人かは驚いたように目を見開いたのが見えたが………彼らに向かって「それじゃ、お邪魔しました」と告げ、今度こそ音楽室を後にした。
環が何かを言いかける姿が最後にちらっと見えたが、それを言うのを待たずに。

パタン………と、静かに扉が閉まる音がやけに響いた。
誰も口を開かず、音楽室の中にはそれきり、妙な沈黙が流れる。


ちゃんが………の事が、好き……」


そんな空気が10秒ほど続いた後、環がそれを切り裂くように呆然と呟いた。
その顔にはありありと『何故こんな事に』と言った感情が表れている。
どうやら彼ら………特にの『第2の父』を自称する環にとって、の言葉はかなりの爆弾発言だったようだ。


「ビックリしたぁ……。てか、『好き』って………
 あんな事さらっと言うようなキャラだったっけ?」


「意外な一面って奴なんじゃない?っちツンデレ属性だし。
 ……でも凄い事になったよねー。よりにもよって先輩に惚れちゃうなんて」


そう話す光と馨の表情は明らかに面白がっているが、若干の同情の色もあった。
もちろん、の性別をすでに知っているにとっては、『好き』と言ってもそれは人としての好意であって、間違っても恋ではない。
だが……そんな事は知る由もない彼らにとって今、は『女子である事を知らずにに恋をしてしまった奴』なのだろう。


「だ……ダメだダメだダメだ――――ッ!!おとーさんはそんな事、絶ッッッ対許しませ―――ん!!」


放心していたかと思いきや、いきなり耳を劈くような大声で環が叫んだ。
怒りとも悲しみともつかない表情になり、目からは滝のように涙が流れ、自慢の美貌が見る影もないほどに崩れている。
この『女が女を好きになった』という―――厳密に言えば、そう誤解している―――状況が、よほどショックだったのだろうか。


「うるさいよ殿。って言うか、そんな今叫んだって、もう本人とっくに行っちゃったけど」


「叶わない恋で終わっちゃうねぇ……。
 ちゃんが泣いちゃったら、いーっぱいケーキを御馳走して慰めてあげなきゃ!」


「………動物は、好きだろうか……」


「そういう問題じゃないような気もするんですけど……」


冷静に聞けばツッコミ所満載の会話に、ハルヒがぽつりと突っ込む。
そして一方で、鏡夜はそんな彼らの様子を、何も口を挟まずに黙って見ていた。

のこの行動は一体、今の状況にどんな影響を及ぼすか……。
それをじっくりと、考えていて。












「………ホント、なんでこんな広いんだよ……。絶対、無駄でしょこの面積……!」


を探して校内を駆け回り、肩で息をしながらはそう呟いた。
がいそうな場所』なんて正直見当もつかないので、2年生の教室や図書室や特別教室……などなど、放課後残っていてもおかしくない場所から探そうとした。
それはいいが……校舎が広すぎて、そしてそれに比例して教室の数も多すぎて、走っても探しても終わらない。
元々、校内では必要最低限の範囲でしか行動しないだ。
校内の全てを把握なんてしていなかったし、それ以前に校内見取り図をちゃんと読んだ事すら一度もない。

正直、まさか高等部だけでもこんなにただっ広いとは思っていなかった……。
こんな事なら、校内見取り図を一度くらいまともに読んでおけばよかったと若干後悔するが、今それを思っても始まらない。


「帰っちゃったかなぁ……。クラスにも、めぼしい教室にもいなかったし……」


帰りのSHRが終わってから、もう大分時間が経っている。
普通に考えれば、今は部に出ていないならとっくに帰宅していてもおかしくない時間なので、どうしてもそんな可能性が頭をもたげる。
まあ、もし今日見つからなくとも明日以降があるが……やっぱり、出来る限り早くに話がしたい。

まだ、校内に残っていてくれればいいのだが……。

考えた可能性が外れる事を祈りながら、次に訪れたのは中庭だ。
そこへと続く扉をゆっくりと開くと、涼しい風が吹きつけてくる。
今日は晴れているし、心地いい風も吹いていてなんとも居心地のいい空気が流れていた。



うん、予期せずだけど、結構いいスポット見つけちゃったかも。



中庭に来たのは初めてだが……ちょっと勿体無かったかな、と、吹きぬける風を感じながら思う。
暖かい季節の間は、仮眠したり宿題をしたりなどはここでするのもいいかもしれない。
木の影に隠れてしまえば一目を気にする必要もないし、空き教室を探して校内を歩き回る必要もないから……

……と、そこまで思ってから、はぴたりと足を止めた。

そして、自然と口角が上がっていくのがわかる。
やっぱり、諦めないで探してよかった………そう思いながら、またゆっくりと足を進めた。
そして……


「ハロー、お嬢さん?」


捜し求めていた人物に、背後から声をかける。
と、彼女………はびくりと肩を震わせ、弾かれるように振り向いた。
大きな瞳がいっぱいに見開かれ、表情には「どうしてここに」とありありと表れている。


……」


「なーんて、いつかの先輩の真似してみました。
 あ、ちなみに誰もいないんで大丈夫ですよ」


にっと笑い、そのままの隣まで移動して腰を下ろした。
何の断りもなしに腰を下ろすのは少し失礼な気もしたが、今は見逃してもらう。


「こうして会うの、ちょっと久しぶりですね。お元気でしたか?」


の顔を見つめながら軽く微笑み、問いかける。
思えば、こうしてと直に顔を合わせて話をするのは久しぶりだ。
元々、自分はそう頻繁にホスト部を訪れるわけでもないのだし、学年も違うから、会おうと思わなければ会えないから。


「うん、まあ……そこそこかな。こそ、元気だった?」


「はい、相変わらずです」


それは、ある意味否定にも肯定にも取れる曖昧な返答だが……笑ってそう答えると、も「そっか」と言いながら笑った。
何人もの女子生徒を魅了して来た、綺麗な笑顔。
女だとわかっていて見ると、やはり綺麗な女性の笑顔にしか見えない……。

さて、ここから先はどう話を切り出すべきか?

こんな他愛もない話をするために、を探してたわけじゃない。
今回の一連の事に関して、直接の口から話を聞きたかったからだ。
まあ、そうは言ってもの態度次第では、無理に聞き出したくないとも思っているが……。


「話はハルヒから聞きました。
 ホスト部の人達、心配してましたよ?先輩が本当に辞めちゃうのかって」


考えた結果、直球で切り込む事しか思い浮かばなかったため、の顔を見つめたままそう切り出した。
静かに、ゆっくりと……少しでも穏やかに聞こえるように。
自分は物言いがザックリしていると思うし、それで必要以上にキツイ印象を与えがちだと言う自覚はあるから……こういう時くらい、話し方には気をつけなければ。
特に今回は、の内面に深く切り込む事を話そうとしているのだから。


「心配………あの人達が、うちの事?」


「はい。きっとみんな、先輩が戻ってくるの待ってるんだと思いますよ。
 先輩が叫んだ言葉なんて、あの人達誰も気にしてないみたいでしたし」


ハルヒから聞いた、がクラスの男子に口走った内容。
確かに、少なからずショックを受けるような言葉ではあるが……彼らはみんな、その事は何も気にしていないように見えた。


「そっか……まあ、あの人達ならそうかもしれないね」


に答えるように、とも、独り言とも取れる声で、はぽつりとそう呟く。
その表情はなんとも複雑で……戸惑いも喜びも悲しみも、色々な感情が入り交ざっていた。



ああ、やっぱりこの人は、本心からホスト部を辞めたがってるわけじゃないんだ……。



のそんな横顔を見ていると、自然と悟る事が出来た。
ホスト部の事を今この瞬間も気にかけているんだろうという事も………きっと、本当にホスト部を辞めたがっている訳じゃないんだろう事も。

それならば……どう言えば、は戻ってくれるのだろう。
もし本当にが部を辞めたいと思っているなら、もうに口出しする権利はないと思っていた。
けれどもし………今自分が思ったとおり、本当は戻りたいと思ってるのに戻れずにいるのだとしたら……。

ならば、にどんな言葉をかければいい?
今回の事に関しては、直接は全く関与していなかった自分が……に何をどう伝えれば、いい?


「あたしも……余計なお世話かもしれませんけど、辞めないでほしいと思います」


の瞳をひたと見据えて、呟く。
彼らとは付き合いも浅い自分が、彼らを語ったところで説得力など何もないだろう。
だから、言えるのは……自分の思いだけだ。


「もしかしたら、最初に接客してくれたのが先輩だから、そう思うのかもしれませんけど………
 ホスト部に先輩の姿がないのは、やっぱり寂しいですから」


環もあらゆる意味で濃い印象を残したが、最初に接客してくれたもまた、にとっては印象の深い人。
だから、ホスト部のあの空間にはの笑顔があるのが当たり前で……。
それが欠けてしまうと、酷く違和感を覚える。あるはずのものがない事に、寂しさを覚える。


「なんで、そう思ってくれるの?
 うちは数え切れないくらいの嘘をついてきたし、騙して来たんだよ?の事だって……」


「そうかもしれませんね。
 でも、あたしは何も騙されてませんから。特に気にしてませんよ?」


戸惑いと疑問を含んだ、の声。
キッパリとそう告げると、も呆気に取られたような、キョトンとした表情になる。
しかしこれは、にとっては偽りのない言葉だ。

『騙して』というのは性別を偽って来た事を言っているのだろうが……その事なら、は最初から気付いた。
だから、結果論にはなるがは何ひとつ騙されてはいないのだ。
まだ知らない事は多々あるけれど、人には離せる事と話せない事があるし自分だって黙ってる事はたくさんあるので、それに関しても何も気にしていない。


「もし、先輩が本気で部を辞めたいって思ってるなら、あたしに止める権利はないですけど……
 もしそうじゃないなら、戻ってきて欲しいと思います」


「………酷い事言ったしうちの事だって知られたのに、今更どんな顔して……」


「あの人達だって、待ってるって事は先輩の事全部受け入れるつもりだって事だと思いますしね」


の言葉をあえて遮り、そう告げる。
そうか………彼らももうの秘密を知ったのか。
おそらくはこの間の身体検査でだろうが、だからと言ってを拒んだりはしないだろう。
彼らは、を待っていたから。
あの表情は、瞳は………『戻ってきて欲しい』と、如実に語っていたのだから。


「だから……あたしも、皆と一緒に待ってます」


……」


「もし、戻ってくる気になったら……その時はまた、先輩が淹れてくれる紅茶、飲ませて下さいね」


よいしょ、と擬音語が着きそうな動作で立ち上がり……微笑みとともに、そう告げる。
そして、困惑した表情で自分を見上げるにもう一度笑いかけ……「それじゃ、お邪魔しました」と一言告げて、彼女に背中を向けた。

きっと、今この場で結論を聞く事は不可能だろうし、自分の言いたい事は伝えた。
だから、後は……自身が選ぶ事だ。
戻ってきて欲しいと気分の思いを伝える事は出来ても、それを強要する事は出来ないのだから。

じっと自分に刺さる視線を感じながら、最後にもう一度だけ振り返ってにお辞儀して。
そのままは、中庭を後にした。








皆、あなたの事を思っています。
どんな秘密があっても、隠していた事があっても………何があっても大切な仲間だから、って。

だから……きっと、帰ってきて下さいね。
あそこで、待ってるから……。












to be continued





言い逃げにも程がある(笑)
そして、ホスト部の面々に与えた多大な誤解も放置プレイ!(笑)

……誤解に関しては、近い内に解決させますスミマセン;

ヒロインはが好きなので、珍しく……ってか初めて?まともに行動しました。
環に対する扱いは相変わらず酷いですが、そのうち柔らかくなるかと^^;






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